カテゴリ: 新幹線だけじゃないよ

北陸新幹線開業の裏で、今まで電車一本で来れた関西や名古屋方面から富山への旅行は本当に不便になったと聞きます。そこで、とやどこは、西日本地区から富山までの乗り継ぎを実際に行ってみました。

どうせなら、みんなが思いつかない場所でやってみたいと思ったので、今回は沖縄の那覇空港を出発し、飛行機で関西空港、そこから「はるか」で京都へ、京都からは富山ケンミンにとっては懐かしの「サンダーバード」で金沢に、さらに金沢からは北陸新幹線「つるぎ」で目的地である富山へと向かいました。

出発は、連休2日目の5月3日、時刻は15:00で、乗る飛行機は予算の都合で、
こちらのピーチエア。いわゆるLCCなので、乗り継ぎに失敗するケースも懸念されましたが。関西空港内を全力疾走したおかげでなんとか予定の列車に乗れました。

関西空港内で乗車券を購入する時間の余裕はないので、今回は前もって沖縄県内で唯一のJRであるJR九州那覇支店で、購入を済ませておきました。

沖縄で発券されたJRの乗車券に京都、金沢、富山の文字が踊ります。



13:06 ピーチエアの那覇空港でのチェックイン締め切りは出発の25分前。ターミナルも空港内をバス移動なので、前泊したゆいモノレール旭橋駅を余裕を持って出発します。

車内は大きな荷物を持った方が目立ちます。おそらく、沖縄から島外から遊びに行かれる方々でしょう。

車内には、進学塾である四谷大塚のテキストを片手に勉強をしているこれから旅行に向かう男の子も。沖縄は、意外や意外、地方都市の割に私立中学受験も盛んなのです。


13:19 那覇空港駅到着。午前中の晴天からうってかわって、曇り空となり、湿度も高くなりました。沖縄の実質的な梅雨入りは、毎年5月の子供の日くらいだということ。

ホームには、先週オープンしたばかり、東南アジアで最大規模のショッピングモール、イオンモール沖縄ライカムのラッピング車両が。

ゆいレールの自動改札は、磁気式ではなく、バーコードを読ませるタイプのもなので、不慣れな人が多くその度に列が止まります。

右側の黒い部分がバーコード、切符裏に磁気テープはありません。


青い部分にバーコードをかざします。このような自動改札は、日本で唯一ではないでしょうじゃ。

ゆいモノレール券売機前は富山駅の北陸新幹線券売機状態に。

空港横のパーキングは新高岡駅状態に。

こいつに乗って、通常のターミナルとは別の場所のターミナルに行きます。

LCCターミナルに着くと、折り返しのバスに多くの乗客が列を作ります。これから3泊4日の沖縄の旅でしょうか。

LCCターミナル全景です。元は貨物倉庫だった場所を改装。

この機械でチェックイン。

レシート状のチケットが出てきます。下に地味にookini!の文字が。

こちらの保安ゲートを抜けて、搭乗口へ。

こちらも、倉庫感たっぷりの、搭乗口待合室。

14:00 ここまで、なかなか順調でしたが、なんと一つ前の13:45発の関空便の搭乗を出発予定時刻を過ぎても行っていました。LCCが最も苦手とする定時性の問題がここでも起きていました。

14:30 搭乗案内のアナウンスが、「14:40よりご案内を開始します」と告げます。

14:35 まさかの、フライングで搭乗案内開始です。

14:40 駐機場前で待ちます。

14:42 徒歩で機内に移動。

LCC名物、駐機場での記念撮影。

タラップ前では、グランドスタッフが誘導。

いざ機内へ。

14:48 CAが手際よく荷物を収納。ピーチのCAの客捌きついでに、荷物捌きは、本当に芸術の域に達しており、この後10分もしないうちに飛行機はドアクローズを行いました。立山ケーブルのスタッフと同様の熟練技です。

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立山ケーブルに乗ってみた。

すごいのはCAだけではありません、機内の照明部分に注目していただきたいのですが、機内が乾燥しないようにミストが出ています。これだけの気配りは本当に素晴らしいです。

15:10 飛行機がタキシングを開始したのは14:58でしたが、LCCターミナルは空港内の端にあるために滑走路までの移動に時間がかかりました。空港の規模は比較にもなりませんが、富山空港ならドアを閉めてからすぐに飛び立つので、少しだけ新鮮でした。

機内販売の食事もセンスがあります。



16:50 関西空港に着陸。CAは到着案内のアナウンスの後に「本日は、ご利用頂きまして、おおきに!」と締めくくりました。とにかく、最後まで楽しませくれたピーチエア。

外に出るまで時間がかかるのが、飛行機の欠点。

16:57 歩いてターミナルまで移動します。

17:00 ターミナルに到着。と、ここまでは順調でしたが、なんと電車に乗れる第1 ターミナルへはバス移動が必要なことが発覚。以前のジェットスターでは、そのままボーディングブリッジで第1ターミナルだったので大誤算!

特急はるかの出発は17:16、ギリギリです。

はるか向こうに見えるのが第1ターミナル。成田空港の旧LCCターミナルと違い、本当に全く違う場所にあります。

17:09 降りたバスを撮影する余裕もなく、向こうのJRの駅へと走ります。

やっと、JR関西空港駅に到着です。

目指すははるか30号。

ホームには、先発の関空快速が。

本当はこれも乗ってみたかった、南海のラピート君。

そして、ゆいモノレール、ピーチエアと来て、この日3本目の乗り物となる特急「はるか」。

しかし、車内は安定の「かがやき」モード。京都まで、一車両を二人で貸切のお召し状態で向かいます。

17:16 定刻に出発。場所がらこんな表記も、意味は「次は 天王寺」。

関空との連絡橋を疾走します。

橋を渡ると、路線を共有していた南海とはここで分離。

17:49 天王寺駅到着。

ここで、かなりの方が下車。しかし、なぜか、当方の1号車には2人のお客さんが乗り込んできました。

列車は環状線内を走ります。途中、大阪ドームを発見。山手線みたいな場所を特急が走るなんて大阪ってすごい。

大阪名物、玉出もあるでよ。

18:06 新大阪駅は小雨交じり。

まさかですが、新大阪から乗車される方も。特急料金650円を払ってでも着席で移動したいという需要もあるのでしょう。

京滋バイパスを横目に京都を目指します。

まるで北陸新幹線の金沢駅の発車メロディーのようなチャイムがけたたましい音量で車内に流れて、京都駅到着をつげます。

18:32 案内板にある見慣れぬ列車名に旅情を感じます。

京都駅のホームにも、どこかの北陸新幹線の「古都」駅が好みそうな大理石が使ってあります。サンダーバードの発車は18:40、乗り継ぎが不安でしたが、なんと北陸線特急の0番線へは、はるかが到着したホームをそのまま歩いていくとたどり着きます。乗り換えに階段不要の快適さは素晴らしい!

およそ、90日ぶりにサンダーバードの電光表記を見てテンションも上がりまくりです。

そして、ついにやって来たサンダーバード君!久しぶり、富山ケンミンは君のことを忘れてないよ!早く、あいの風とやま鉄道にもおいでよ!

連休二日目なのでかなりの方が乗車されます。

長い列が出来、ホームのアナウンスも乗車を急ぐように告げます。

18:41 定刻を1分遅れて京都駅を発車。車内の乗車率は97パーセント。北陸新幹線によって、北陸の関西離れが言われましたが、この状況とかがやきの指定席を比較しても、そのようなことはまだ起こっていないと確信。

19:00 夜の琵琶湖を眺めながら、サンダーバードは湖西線を全力疾走します。それにしても、とてもここちよい走りです。あれだけ欲した新幹線ですが、サンダーバードが無くなる喪失感がこんなに大きいなんて。

E7系ではおなじみのショット。電源コンセントなんていらない、この大きなテーブルさえあれば満足だ。だから、もう一度富山においでよサンダーバード君。

サンダーバード独特の車内チャイム「ホニャララホニャララホー」の後に敦賀到着のアナウンスが。

19:33敦賀駅到着。それなりの数の方が下車。この地と大阪が新幹線で結ばれるのは何十年後なのでしょうか。

19:55 武生発車、19:59鯖江発車、いわゆる千鳥停車のサンダーバードですが、ゆえに利用率も高いのでしょう。鯖江以降、車内にも空席が目立って来ました。サンダーバードではありませんが、北陸新幹線でもはくたかの方が乗車率が高いのもうなづけます。

20:08 福井に到着です。さすが県都、車内のデッキは降車客で一杯。はくたかの上越妙高駅状態になっています。


20:20 芦原温泉到着時、お隣にも大阪方面へのサンダーバードが到着。この時間でも、かなりの乗車率。

20:29 加賀温泉到着。実感では北陸新幹線の糸魚川駅よりも利用者が多いです。
(後日談)
  2012年の糸魚川駅の一日の利用者数は1000人を切るくらいなのに対して、加賀温泉駅はその倍なので、サンダーバードの利用者が糸魚川駅における北陸新幹線の利用者より多いのは当然の結果でした。利用者数900人台の駅に新幹線が止まり、2000人の駅には未だに新幹線は来ていないという現実を見るにつけ、新幹線というのはとことん政治なのだと痛感。

20:38 北陸新幹線開業後は元気がなくなっている空港の最寄駅に。

飛行機と違い、鉄道はまだまだ元気です。

20:50 お次の停車駅はこちら、しかし、特急が停車するイメージがわきませんが、

予想に反して、福井駅に次ぐ利用客の数でした。

松任以降、車両の5割が空席となりました。


20:56 サンダーバードを降りて、新幹線へ。乗り継ぎ時間は10分。


階段を降りて右手の中間改札に向かいます。かつての越後湯沢の乗り換えよりはスムーズに感じました。

サンダーバードから大量の乗り継ぎ客が自動改札に列をなします。越後湯沢の風物詩が今は金沢に。

最終かがやきの次発がつるぎ。

エスカレーターには列が。しかし、このエスカレーターを上りきった場所にあるのはつるぎの指定席と未使用の車両部分なのです。つるぎの利用者が最も多いと考えられる、自由席車両へ向かうにはホームをかなりUターンしなければいけません。

こちら、最終かがやきを外から眺めました。空席が目立ちますね。

最終かがやきは1分遅れて発車。

21:06 いい日旅立ちを聴きながら、つるぎは定刻に発車。

こちら、4号車の自由席ですが、かなりの乗車率。

昼間だと気付きにくい窓のロゴ。W7系の窓は富山県のメーカーの製造した合わせガラスを採用しています。

もちろん、つるぎでもやりました、お約束のスマホ充電。

21:19 あっという間に新高岡へ。未だにこの新幹線の時間感覚には慣れません。「はくたか」への乗り換え案内をアナウンスをしようとした車掌氏が、思わず「特急 はくたか」と言ってしまい訂正されていました。ホワイトウィングやスノーラビットへの思いは、車掌氏も同じなのでしょうか。

車内の4割が新高岡駅で下車。乗り継ぎ割引が効いているようです。

10分後、すぐに富山駅に。新高岡駅のかがやき停車のネックとなっているのが、この駅間の所要時間の短さではないでしょうか。

21:30 ピーチエアがタキシングを始めて、6時間半後、やっと富山駅に到着です!

みなさんおもいおもいの場所へと向かわれて行きます。

今回は、ピーチエア、はるか、サンダーバード、つるぎ、さらにはゆいモノレールという5種類の交通機関を乗り継いだわけですが、それぞれの特徴が印象に残りました。

まずは、ゆいモノレールから。
戦後初の沖縄の鉄道として開業してから、早10年以上が経過しました。とやどこ管理人も、開業当初はその物珍しさも手伝って、沖縄に行く度によく利用していましたが、大きな荷物を持って階段を上り下りするのが段々と苦痛になってきました。全国の多くのモノレールや新交通システムの類が赤字になっている原因の一つがここにあるのでしょう。沖縄の年配の方は、未だに階段を利用しなくてもよいバスを利用されています。

富山市が二次交通の手段として既存の市電を駅シタに通した決断は千金に値します。階段を降りるだけで二次交通にたどり着ける気軽さは本当に助かります。歴史にifはありませんが、もし、80年代に北陸新幹線の着工が始まっていたら、時代を反映して新交通システムやモノレールの建設を声高らかに叫ぶ輩が出てきたかもしれません。

次に、ピーチエアですが、
一言で言えば、センスと気配りに溢れた2時間のフライトでした。ターミナルのバス移動はいただけませんが、それを差し引いても、もう一度乗りたくなるようなオペレーションです。国内のLCCで唯一黒字を出しているだけのことはあります。W7系のデザインもそうですが、大阪の交通事業にかかわる会社のセンスは本当にいいですね。

炎上覚悟で、「もし」の話をするならば、もしANAの富山便にXデーが来て、このピンクの飛行機が富山と成田を結んだなら、確実にW7系の大きなライバルになるでしょう。

そんなW7系のJR西日本が運行する特急「はるか」ですが、
京都までの旅は本当に快適でした。自由席特急券970円が余分にかかりますが、乗り換えがないという状況が本当に快適だと改めて実感。北陸新幹線がほくほく線時代の3倍の乗客を集めている理由もわかります。例え、南海のラピートを利用しても京都駅までは二回の乗り換えが必要となるため、目的地が「京都駅」ならはるかの方が便利です。(阪急の四条河原町駅が目的地なら、南海との割引切符もありまが。)

しかし、富山に住んでいて関西空港を利用する状況というのはほぼ考えら得ないので、特急「はるか」という列車は富山ケンミンにとっては縁がない列車となります。

そんな、富山ケンミンが強引に縁を切られてしまったのがサンダーバード。
今回、千鳥停車パターンのサンダーバードに乗って感じた事は、石川県内の利用者の多くが途中の松任駅までで降りてしまうということです。逆に、金沢駅まで乗り通した乗客の6割がつるぎに乗り継いでいました。やはり、関西は今でも富山県と結びつきが強いと実感。

しかし、そんな分析以上に、久しぶりに683系電車に乗れたことが、素直に嬉しかったです。人間とは無い物ねだりで、W7系に感動しながらも、どこかで683系が富山県内を走らない状況に寂しさを感じていました。

一歩車内に入ったら、あの大きなテーブル、独特な車内チャイム、唸るモーター音、そしてこのシート、すべてに感動しました。
もう一度、富山県内を走るサンダーバード君を本当に見たいと思いました。

そんなサンダーバードの代わりに走るつるぎですが、
当初は「誰が乗るんだ?」と言われていたこのシャトル便も、開業から90日で富山と西日本を結ぶ交通機関として無くてはならない存在となってきました。何しろ、これに乗らないとサンダーバードもしらさぎも乗継ぎ割引にならないですから。

それにしても、所要時間が特急時代の半分に短縮されたのは、驚愕です。富山と金沢が完全な通勤、通学圏になってしまったのです。今後、どちらがストーロし、される方になるのか、富山と金沢のつるぎのさや当ては今始まったばかりです。

今回、那覇空港から富山駅までの所要時間は6時間半、那覇空港から羽田空港経由で富山空港へ乗り継いだ場合は、これより2時間程短縮されますが、色々な交通機関に乗れる今回の行程はなかなか楽しかったです。

先日、鹿児島から富山へ観光でいらした方は、飛行機の乗り継ぎでは無く、わざわざ羽田空港から北陸新幹線に乗り換えて富山に来たとテレビのインタビューで仰ってました。

やはり、交通機関そのものが旅行の楽しみになっているのですね。

これを、ご覧になっている沖縄のみなさんも、こんな楽しいルートで富山に来て見ませんか?












思えば学生のころ、富山と東京を往復するのに長岡経由の「かがやき」を利用するなどということはほとんどなかった思います。

長期休暇シーズンなら青春18きっぷを使い8時間以上揺られて、それ以外のシーズンは急行「能登」で夜汽車に揺られて富山(又は東京)に向かわれていた学生の方も多かったと思います。
実際に、新幹線を利用して北陸と東京を往復するのは当時も今も学生の方にとって金銭的負担が大きく、このような廉価な交通手段の存在は当時としてもとても有り難いものでした。

北陸新幹線の開業ウィークには多くの30代40代の首都圏からの方を車内でお見かけしましたが、その方たちもおそらく学生当時このような「貧乏旅行」(このような表現は本当は使いたくないのですが、分かり易いように。むしろ、あのころの鈍行列車の中で感じた高揚感は今となっては絶対に手に入らない貴重な瞬間でした。)で北陸を旅行され、今社会人となってお金を稼ぐようになり、改めて新幹線で北陸を訪れられたケースが多かったと思います。

このように、廉価な交通手段というのは、5年後10年後のリピーターを作る大事な手段となっているのですが、時代の流れとともに急行「能登」は消滅し、さらには富山と長野と新潟の多くの路線で青春18きっぷは使えなくなりました。

そのような中、新幹線や飛行機に対抗して第三の交通機関として生き延びているのは高速バスではないでしょうか。それも昨今は大手のバス会社が運行するレガシィな高速バス以上に、新興のバス会社が運行するいわばバス業界の「LCC」が盛況です。

今回、平日の夜ということもあって、富山から東京まで3300円、所要時間は6時間30分というバスを発見したので実際に乗車してみました。北陸新幹線と比較して3倍の時間がかかりますが、コストは三分の一以下なので、バランスはとれている価格設定です。

深夜近くの富山駅北口です。右側に見えるのはポートラムの乗り場。もちろん終電は発車した後です。真ん中に映る人影は高速バスを待つ女性の方です。深夜の富山駅北口の周辺は、深夜バスを待つ女性の姿が本当に多かったです。

あいの風とやま鉄道もすべて運行を終了している時間です。地方は首都圏と比較して終電の時間がかなり早いのです。

しかし、待合室には多くの高速バスを待つ方が。半分は女性の方でした。
平日の深夜バスで東京に向かう方は、普段どのような仕事をなさっているのでしょうか。

大手のバス会社は新幹線口でもある富山駅南口に乗り場があるのに対して、新興バス会社はここ北口に乗り場を設けています。あのウィラートラベルもここ北口から発着。

この時間は各社のバスがひっきりなしに富山駅北口に到着。多くは、金沢と高岡を経由してきます。こちらは、中日本ハイウェイバス。

これが、今回乗車するオリオンバス。格安スキツアーでおなじみの会社。このバスにチケットというものはなく、係員の点呼を受けて乗車するスタイル。富山からの乗車は12人。うち3組が明らかに舞浜のテーマパークまで行こうとされていた、女性同士のペア。あのテーマパークの集客力を改めて実感。

座席の様子です。毛布とスリッパ、ついでに充電用コンセント付きです。北陸新幹線のエントリーで、コンセントの電圧変化が激しいと書きましたが、こちらのバスのコンセントの電圧は非常に安定していて、停車時や出発時も全く電圧の変化は起こりませんでした。ハイテクの権化のようなE7系がコンセントでは、アナログな高速バスに及ばなかったということになりますが、新幹線というのはそれだけ多くの電気を消費しているとうことでもあるのでしょう。

車内は満席。富山駅を出ると、バスは国道41号線を南下し北陸自動車道の富山インターを目指します。途中、注意事項を説明したビデオを流しながら、最初の休憩は30分後の有磯海サービスエリア(富山県魚津市)とのアナウンス。富山駅からの乗車組にとっては早過ぎる休憩ですが、金沢からの乗車組にとっては乗車後2時間ほど経った頃なので、それを考慮してのことでしょう。

有磯海サービスエリアに到着しました。同じ様な高速バスが隣にも止まっています。

深夜の有磯海サービスエリア。人は、なぜ深夜のサービスエリアに降り立つと、えもいわれぬ高揚感に襲われるのでしょうか。鉄道とはまた違うワクワク感があります。

店内には色々な美味しそうなものが。最近の高速道路のサービスエリアはJRの駅以上に、お土産が充実していて見ているだけでも楽しめます。

そして、ついつい買ってしまうぶりずし。

本来はライバルのはずの「鉄と陸」ですが、北陸新幹線を祝ってしまう余裕の風格。北陸の高速交通を30年以上担ってきた自負からでしょうか。

圧巻は、E7系オンザ北陸自動車道!ライバルのミニチュアまで売ってしまうNexco中日本の余裕。さすが、北陸新幹線の開業記念でETCの割引企画出すほどの会社です。

この後バスは消灯しカーテンを閉め切ったまま、次の休憩中である長野県の松代サービスエリアに向けて走り出しました。車内は真っ暗何ですが、変な高揚感がありなかなか寝つけません。車内では睡眠をとっている方もいるのでスマートフォンを見るわけにもいきません。

深夜3:00、松代サービスエリアに到着です。ここでも多くのバスが休憩をとっていました。カメラの性能の関係で文字が滲んでいますが、行き先は全て舞浜のテーマパークとなっています。かのテーマパークは日本一深夜バスが発着する場所となっているのでしょうか。

こちらのサービスエリアは、深夜営業のお店はなく、ただ自販機が煌々と闇夜を照らしているだけでした。

次の休憩地は埼玉県の三芳サービスエリアです。バスが出発するした後は、さすがに眠りに入りました。

朝5:15三芳サービスエリア着。もう外が明るくなっています。

24時間営業のコンビニもあるため、多くの車が休憩をとっていました。中には、富山や石川ナンバーの車も数台見かけました。北陸新幹線開業後も、高速道路は北陸観光の重要な交通手段として多くの人に利用されることでしょう。

この後バスは最初の降車地である新宿西口に向かいます。この時間からは眠りにつく人もまばらで、みなさんスマートフォン等を見ながら時間を過ごされていました。

定刻の6:20に、新宿西口に到着。場所はあの東京モード学園が入るコクーンビルの前です。

これぞ東京と言った風景を目の前にして、また高揚感を覚えます。急行「能登」で上野駅に降り立った当時の若者も同じ様なことを感じたのでしょうか。

早朝の新宿駅西口です。深夜バスでの移動は、暗闇を走る続けたら突如目的地がやってくるため、昼間の鉄道での移動のケース以上に大きな高揚感を感じると実感しました。

しかし、寝不足も相まって、お昼くらい前から猛烈な睡魔に襲われたのも事実です。深夜バスは時間を有効利用できる利点もありますが、到着した当日は疲労がたまっているのも事実なので、出来ることなら観光地へ向かう時よりも、観光地から自宅へ帰る時に利用した方が良さそうです。

富山からの3300円の帰宅便、多少疲れますが、あのころの高揚感は味わえますよ。




北陸新幹線の延伸開業後、富山県内を走る在来線特急は富山駅を起点とするJR高山本線の特急ひだを除いて、すべて廃止された訳ですが、これを停車していた特急の「廃止率」という視点で見た場合、高岡駅ほど発着する列車が大きく減少した駅も他にないのではと思います。

何しろ、3月13日までは、大阪、名古屋、越後湯沢、新潟方面の特急、ついでに臨時のトワイライトエクスプレスと、北陸本線を走る全ての特急列車が停車する「全停駅」だったにもかかわらず、一夜開けたら長大なホームに停車するのは二両編成のあいの風とやま鉄道のローカル列車のみとなった訳ですから。

そんな、一夜にして「逆シンデレラ」となった高岡駅に行ってみました。

正面入口となる古城公園口側の外観です。赤いネオンの文字は併設された駅ビル「クルン高岡」のロゴです。駅名表記の横にJR線と万葉線の表示はありますが、あいの風とやま鉄道の表示はありません。
丁度セブンイレブンの真下あたりに、一年前から駅ナカに乗り入れた路面電車の万葉線の乗り場があります。

駅前の様子です。再開発も進み、高層ホテルと複合ビルが鎮座。この風格は、新高岡駅前はもとより、県都がある富山駅の南口をも凌駕してしまう勢いです。まさに、商都高岡の面目躍如です。

改札前の案内表示です。当然のように全て「普通」の表示。時間帯によっては3列ともに赤字の「特急」の表示になったのも今は昔。

こちらは、自動券売機がある場所ですが、自動券売機が数台撤去されているのがわかります。

改札前の案内板。新高岡駅がある方向の出口は瑞龍寺口と名付けらています。

改札前から瑞龍寺口まで行く自由通路途中にご当地萌えキャラ発見。こちら、(おそらく)高岡大仏を模したあみたん。

お次はカノン。

最後はセシル。どうせなら、県外からの観光客の方が多い新高岡駅にもこれらの萌えキャラを登場させればいいPRになったのにと思いますが、JR西日本がW7系にはそぐわないとダメ出ししたのか、新高岡駅では誰一人彼女らに出会うことはありませんでした。

こちらが瑞龍寺口の外観、いわゆる裏側の入口ですが、コンパクトにうまくまとめてあるデザインだと思います。県都富山駅の北口と違い、県外からのお客様にもお見せできる外観です。
(富山駅北口外観 日本全国の新幹線停車駅の中でこれほどcoolじゃない外観を持つ駅もないと思います。)

今度は駅ビル「クルン高岡」の様子です。入口横のKAWASE cafeはコーヒー一杯が90円。夕方になると地元の高校生で賑わいます。

中に入ると、彼がお出迎え。高岡市は今や世界中で有名になった彼が生まれた場所です。

高岡市の高岡市美術館では現在、藤子F不二雄展を開催しています。のび太君の部屋のタイムマシーンも実際に中に入れるように展示してあって、なかなかの盛況ぶりです。

店内では、地元の名産品に混じって彼もお土産として並んでいます。

真下にある万葉線の乗り場にも彼が登場です。

万葉線乗り場横のエスカレーターからはクルンの地下街へと行くことが出来ます。高岡駅の地下街の歴史は古く、高度経済成長期に「日本海側で初」の地下街として鳴り物入りで登場しました。県都富山市には未だに地下街など存在しないので、ここらへんにも商都高岡の矜持を感じることが出来ます。

通路歩き、その先にあった光景は、

本当に誰も歩いていない地下「街」の光景でした。撮影時刻は平日の夕方。本来なら帰宅する客で賑わう時間。もちろんお店は全て営業時間内。早朝や深夜に撮影したやらせではありません。

地下街を一周してやっと人を見つけました。テーブルで自習をする地元の高校生のみなさんです。少なくとも買い物をしている方を見つけることは出来ませんでした。

    (c) KNB

この状況は、早速地元局の夕方のニュースでも取り上げられていました。(北日本放送NEWS EVERY 2015年4月14日放送分より)

    (c) KNB
     
テナントの方々はかなり深刻な状況です。

こちらはイベントスペースと、大型ビジョンです。この大型ビジョンを広告スペースとして販売中でしたが、これを撮影している最中、誰一人この前を通った方はいませんでした。

同じ時間帯の高岡駅改札内の様子です。夕方だったので、それなりの数の方が駅を利用されていました。しかし、特急列車が停車していたころのこの時間帯は、さらなる人がここに溢れていたことは容易に想像出来ます。

地方都市の駅にとって特急が停車する否かは、その街全体の商業活動に影響を及ぼすことを改めて実感させてくれた高岡駅訪問でした。
国鉄深谷駅の時代から特急停車の陳情合戦が繰り広げられる理由もよくわかります。

中核都市として相応しい駅前の様相に、機能的に整備された新駅舎、どれもこれも県都にある富山駅を凌駕している高岡駅に再度かがやいてもらいたいものです。

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富山の人々の信仰の対象とされてきた立山連峰。しかし、その一部は日本海へと流れ込む急峻な地形となり、北陸路を行き交う旅人を苦しめ続けて来ました。断崖を襲う日本海の荒波で、親は子を、子を親を省みることなく旅路を急いだことから、親不知(おやしらず)と呼ばれるこの場所は、今も交通の難所のとして知られています。

    Wikipediaより

作家森鴎外は自身の作「山椒大夫」の中で、

越中の国に入るさかいにさえ、親不知子不知おやしらずこしらずの難所がある。削り立てたような巌石のすそには荒浪あらなみが打ち寄せる。旅人は横穴にはいって、波の引くのを待っていて、狭い巌石の下の道を走り抜ける。

と、描写。

それほどの自然の要害となっているこの地に、陸路は旧道、国道、高速道路と三度による変遷を重ね、今も北陸路を行き交う人と物を運んでいます。糸魚川市では、これに近世の「渚の道」を加え「四世代道路」として、先人の苦難と偉業を後世に伝えています。http://www.itoigawa-base.com/kanko_jiten/geopark/02_oyashirazu/yonsedai.html
渚の道 (建設マネジメント技術より http://kenmane.kensetsu-plaza.com/bookpdf/172/at_01.pdf )

苦難は鉄路がこの地を通ってからも続きます。大正期に開通した初代の北陸線は海岸と断崖を縫うように走っており、ある時はそこを走る列車を雪崩が襲う悲劇が発生します。またある時は土砂崩れにより、列車が崖から転落する大事故が起こります。

昭和も中盤にさしかかったころやっと、第二世代の鉄路とも言えるこの地区の北陸線の電化と複線化が完了し、北陸と首都圏を結ぶ大動脈として賑わいます。

そして今、第三世代の北陸新幹線はこの交通の難所を僅か3分で走り抜けていきます。

そんな、交通の難所の第二世代の鉄路を引き継いだえちごトキめき鉄道の日本海ひすいラインに糸魚川まで乗ってみました。
そこは絶景の日本海を眺めることができる展望空間でした。

実質的に日本海ひすいラインの始発駅となる富山県の泊駅から乗車。あいの風とやま鉄道の車両とは、同一ホームに並びます。

あいの風カラーの駅名票に「トキてつ」カラーの車両が並びます。

ホームには案内板が。

車両は新品の2014年製。最初は気づきませんでしたが、実は電車ではなく気動車です。

座席は、山側の一列と海側の二列シートの組み合わせで通路を多く取ってあります。ここは、糸魚川駅のように山側を「アルプスシート」、海側を「日本海シート」と名付けていただきたいものです。

今回はもちろん「日本海シート」で。本当に真横に、日本海とヒスイ海岸が広がります。

苫屋と日本海。なつかしの海辺の風景が真横に。

本来の日本海ひすいラインの起点となる市振駅に到着。ここはかつて、歌人松尾芭蕉が宿を取った場所でもあります。付近には、「歌」という地名もあります。

「日本海シート」から眺めると、本当に真横が市振漁港。とやどこスタッフが高校時代、海からの波で市振駅ホームが水浸しになり、さらには架線用の電柱が倒れ、北陸本線が運休という事態もありました。

そうこうしているうちに、隣には北陸自動車道が。本当に日本海の上を走っています。手前が近世の「渚の道」となり、まさに第一世代と第四世代の陸路の時代を超えた共演です。松尾芭蕉が今この場所の「渚の道」に降り立ったら何を思うのでしょう。

北陸自動車道が断崖へとすいこまれた後、今度はまたもや美しい日本海が。

青海駅を出て「アルプスシート」に移ると、そこには新幹線高架を抱く雪山が。この後、日本海ひすいラインは新幹線をアンダークロス。新幹線は日本海側へと向かっていきます。

糸魚川駅への最終アプローチとなる姫川。奥に見えるのが北陸新幹線の姫川橋梁。コンクリート壁の工法は、フィンバック形式といい、日本海に近すぎるゆえ塩害が憂慮されたため、鉄橋方式をとらなかったとのこと。

糸魚川駅に到着。ここでは、多くの乗客の方が乗り込みました。

ここまで、乗車時間は30分足らずでしたが、日本海は様々な表情を見せてくれました。まさに日本海ひすいラインは、日本海を楽しむための展望空間のだったのです。そこで、

とやどこからの提案

2回目の富山は、はくたかに乗って、日本海へ行こう!

前回のかがやき乗車記にも載せましたが、かがやきに乗ると上越妙高付近からE7系は全力疾走を始め景色をゆっくり楽しめる状況でなくなります。

そこで2回目の富山は、はくたかで糸魚川駅に来て、そこからはゆっくりと防音壁もなく迫力の日本海を楽しめる日本海ひすいラインに乗り換えて向かうのはいかがでしょうか?
かがやきのスピード感に比較して鈍足なイメージがあるはくたかですが、実は糸魚川までは東京から2時間程度で到着する便も多く設定されているのです。

日本海ひすいラインから泊駅であいの風とやま鉄道に乗り継げば、こんどはそのまま富山の自然美を楽しむことが出来ます。
特に冬場は、海沿いに雪が積もりなんとも言えぬ光景に出くわします。

泊駅まで600円で楽しめる日本海の幻想ショー、富山を訪れる上級者の方にオススメです。乗って残そう日本海ひすいライン。





かつて富山県内では、週刊誌の多くは1日遅れの発売日でした。週刊少年ジャンプは火曜日に、写真週刊誌Fridayはなぜか土曜日に発売されており、子供心に地方在住の悲哀を感じたものでした。それが、ここ10年ほど前から「首都圏」と同じ日に週刊少年ジャンプが読めるようになりました。(Fridayは既に存在していませんでしたが)

そんな首都圏との「情報格差」を解決してくれたのが、高速道路の整備、特に北陸自動車道の改良と、上信越道の開通でした。両者の整備と首都圏の圏央道の整備により、特に東京都西部と埼玉県内からは富山まで4時間代で結ばれることになりました。このことから、今でも自動車で富山にくる方も多く、休日には多くの首都圏ナンバーの車が北陸道を走っています。

そんな首都圏の大動脈である北陸自動車道ですが、今回の北陸新幹線開通を機に、どう変わっていくのでしょう?富山県内を始めとする北陸三県の北陸自動車道を運営するnexco中日本では、これを商機ととらえホームページに堂々と「北陸新幹線開業記念」の文字を載せています。ホームページ上に「北陸新幹線」の文字が全く出てこない先述のANAとは対照的です。

 バナーにはE7系のイラストまで。


Nexco中日本では、北陸新幹線の開業日である3月14日からETC車限定で、富山石川県内の高速道路が二日間乗り放題となるドライブプランの提供を開始します。

事前申し込み制で、あまりにもお得な価格のためかETCカード一枚につき一度の申し込みしかできない模様です。このプランの素晴らしいところは世界遺産である白川郷、五箇山までも網羅している点です。富山インターから白川郷インターまでは、通常のETC割引でも1,500円程度はかかってしまうので、このプランが破格であることがわかります。また、ETCカード単位の申し込みなので、カードを持ち歩けばレンタカーでも利用可能なのですが、今回はそれを最大限に活用して、

とやどこからの提案

駅前からレンタカーで世界遺産と能登半島を一日で制覇!

世界遺産の五箇山へはバスも運行されていますが、往復の所要時間を考えると時間を有効活用出来ないケースも考えられます。特に、次の観光地に向かう際の時間的な連携がまだまだとれてはいないのが現状です。これは特に一泊二日のスケジュールで富山を訪れている方には深刻な問題です。そこで、富山駅を降りたら、レンタカーで五箇山を目指すのです。富山駅前にも、あの廉価なレンタカーであるニコニコレンタカーがあります。
http://www.2525r.com/store-00501-001.php ただし、3月14日分は満車。

富山から五箇山までは一時間程度、東京駅を8時半に出るかがやきに乗れば、お昼くらいには、目の前に合掌集落の美しい景色が広がっていることでしょう。

また、富山きときと空港近くにもニコニコレンタカーはあるので、九州四国の方も頑張って初便に乗れば、お昼には合掌集落の中にいます。

また、北陸自動車道の各サービスエリアでは地元の食材を使った地丼を展開しています。

地元テレビ局は、小矢部川サービスエリアの「ホタルイカソース丼」を勧めていましたが、個人的には有磯海サービスエリアの「バイ飯」が一番のオススメです。


もともとは、富山県東部にある魚津地区のいわゆる漁師飯として食べられていたものなのですが、現在は魚津の名物料理として、市内各店で出されています。http://www.uozu-kanko.jp/?p=8744 とにかく、美味しいの一言です。五箇山とは反対方向になりますが、立山黒部観光でいらっしゃる方には是非召し上がっていただきたい一品です。

富山県は富山市中心部から県内のどのような場所にも車で一時間以内に移動できるように道路が整備されているために、レンタカーがあれば効率良い観光が可能となっています。

尚、くれぐれも、ドライブプランの事前申し込みとETCカードの持参はお忘れのないように。

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