2016年09月



2カ月前、電撃的に地元テレビ局のレギュラー番組を降板された、元日経トレンディー編集長北村森氏。
http://toyadoco.blog.jp/archives/1059770594.html


その理由については、様々な憶測を呼びましたが、当該ブログエントリーコメントに新たなる情報が寄せられました。

まさか、北村森氏がレギュラー番組を降板された遠因が、氏が心血を込めて立ち上げに奔走されたコンパクトデリトヤマにあったのです。



このコンパクトデリトヤマ、県内18か所の名店の料理をそれぞれデリカとしてアレンジ、それぞれのお店に行かなくても1ケ所でこれら名店の料理を楽しめるように、富山国際会議場横にオープンしたのでした。

北村森氏は、この各店と、出品の交渉や製造レシピの調整に奔走。

もともと、門外不出の名店の製造レシピを外に出すなどということが出来たのも、コンパクトデリオープン前にも、県内のショッピングモールで「名料理人が作る夢の駅弁」というイベントを成功させた森氏の手腕による部分が大きかったのです。(このイベントの出品者の中にはあのミシュラン掲載店である「海老亭別館」があるくらいですから、そのレベルの高さがうかがい知れます。)

そんな、心血を注いで立ち上げた、コンパクトデリトヤマについて、氏は先日、地元FM局の番組で、その顛末について、初めて告白、

曰く、

オープンが4月15日だったのに、オープン前の3月18日に氏とコンパクトデリトヤマの運営会社である3セクとは何ら契約がない旨の通知書が富山市側から届く。

しかし、自分の契約がないからといって仕事を止めていては、オープンに間に合いそうもないので、とにかく運営に専念。

その後オープンを迎えたが、その後も富山市から音沙汰はなし。

結局、7月に再度契約について富山市に連絡したが、進展がなかったため、自ら身を引くことに。

とのことでした。

氏は、この状態を「クビ」と表現。

心理的に富山から「引かざるを得ない。」とのことでした。

まさか、番組を降板しただけでなく、富山そのものから降板を決意されていたのでした。

ちなみに、コンパクトデリトヤマのオープニングには北村森氏はもちろん、富山市側からは職員はもちろん市長も同席。

そのようなシーンまであって、「貴殿との契約は存在しない。」と言い切るあたり、まさにハシゴを外された状態であったようです。

氏は番組の最後で、「プロジェクトは情熱だけではなく、事前の座組が大事だ。」自分に言い聞かせるようにおっしゃっていました。

そして、この富山市、今、謎の「お茶菓子代」と「印刷費」数百万円のおかげで、全国のニュースをにぎわせ、この秋1億円以上の費用をかけて、全国的にも稀となる議員の9人欠員による補選が行われます。

そんなことに1億円払うなら、アイデアと人脈を出してくれた北村森氏にその何十分の1でもいいから、ギャラを払うべきでは。

ライトレール、セントラム、キラリとやまと「モノ」に投資をして成功している現状の富山市政、ぼちぼち「ヒト」にも投資する時期なのでは。

(追記)
9月28日の時点で、富山市議会では10人目の辞職が出て、当初よりの欠員だった1人を含めて、11人の議員欠員による補選が行われこととなりました。

さて、件のコンパクトデリトヤマ、実際に足を運ばれた方なら気付いたと思われますが、店名ロゴの下に小さく東京の大手広告代理店の社名が。

不思議に思って調べてみると、このコンパクトデリトヤマ、総務省の「公共施設オープン・リノベーション推進事業」なるものの一環として行われたもので、いわば国の補助事業。

その総務省の委託を受けたのが、その大手広告代理店だと思われます。

この時点で、かなり「トホホ」なプロジェクトだったという印象が。だいたい、大阪を筆頭に大手広告代理店が絡んだ地方の公共施設って、閑古鳥が鳴いているイメージが。

実際、とやどこ管理人もブログネタにする気満々でコンパクトデリトヤマのオープンニングの翌週に足を運んでみたものの、休日にもかかわらず、広い店内に客は五人。同じ時間帯のお好み焼きのぼてやん田中は店外に行列が出来ていました。

件の大手広告代理店のHPでも、コンパクトデリトヤマのオープニングの様子を紹介。
その中で、北村森氏は「マーチャンダイジングを担当した」と紹介。

広告業界が大好きな横文字に辟易しつつも、これを商品開発として解釈したならば、確かに北村森氏はコンパクトデリトヤマの正式な商品開発担当だったのでしょう。

ここからは、あくまでも推測ですが、富山の名店の味をデリカにするという商品化の目処が立ったオープン前の3月18日、富山市と広告代理店と3セクの「三社連合」は商品開発担当者に「ご苦労様!」と告げたのでは。

そこに、一商品開発者ではなく、店舗のプロデューサーとして関わる気だった氏との間に齟齬が生じたのでは。

さらに、うがった見方をすれば、北村森氏がレギュラーだった地元ローカル局の枠は、その広告代理店の北陸支社が担当だった可能性もあります。(大人の世界は怖いですね。)

真相は闇のままですが、富山から北村森という名プロデューサーが去って行ったのは事実です。



まさかの、仙台からの北陸新幹線の直通新幹線が実現しました!

北陸本線時代を含めても、太平洋側の東北地方からの直通列車の運転は初の出来事ではないでしょうか。

もちろん、今回の直通運転は、ツアー向けの1日限りの企画なのですが、色々部分で初物づくしです。

先ずは、停車駅に注目。なんと、郡山駅を出たEW7系は、黒部宇奈月温泉駅まで客扱いはなし。

北陸新幹線で初めて長野が「通過」扱い。もちろん、運転停車はあるでしょうが、それでもこれは「事件」。

長野駅どころか、大宮駅も「通過」扱い。ここでも、運転停車があるでしょうが大宮駅でドアが開かない新幹線なんて、かなりレアですよね。

そして、EW7系の試運転は東北新幹線内で行われた訳なので、まさにかがやきが凱旋「帰国」する訳です。

個人的には、この新幹線の運用、W7系になればと思ってしまいます。東北新幹線内で流れる、「北陸ロマン」の車内メロディなんて、感動で鳥肌もんです。

さらに、東北新幹線内で「この列車の停車駅は、黒部宇奈月温泉駅、、、」とか車内アナウンスが流れるのでしょうか。

最後は、大宮駅での「座席転換」タイム。北陸本線時代の直江津駅での風物詩が、この時代に再現されるわけです。

まさに注目箇所満載の仙台発の北陸新幹線、今度は函館北斗駅からの直通運転を期待したいですね。


3日間晴天に恵まれ、見事に「風封じ」に成功した2016 おわら風の盆。

とやどこ管理人は、おそらく今までほとんどの方が経験したことがないであろう、風の盆直後の9月4日の旧町を散策するため、八尾の町にやって来ました。

降り立ったのは、ほんの5時間ほど前まで送りおわらが舞われていた越中八尾駅ホーム。

数時間前の喧騒とは対照的に、休日の午前中の静寂に包まれています。

しかし、待合室には、未だ夢から醒めぬであろう観光客の皆さんが、富山方面への列車を待っていらっしゃいました。

八尾駅前も、普段の静けさに。今朝までの喧騒が嘘のようです。

しかし、まだお昼前なのに、かなり暑い。

迷わず、駅前に留まっていた循環バスに乗り込みます。

この循環バス、なかなか良くて、井田川沿いの素晴らしい景色が楽しめました。

この後、諏訪町最寄りの上新町でバスを降りたのですが、バスであってもそれなり乗車時間でした。

おわらの期間中は、この距離を皆さん八尾駅から徒歩移動されているわけですから、本当におわら観光というのは体力を使うことがわかります。

バスを降りて、路地を抜けると、

そこに現れたのは、日常の光景を取り戻した諏訪町の姿。期間中町を照らしたぼんぼりも、既にありません。

この3日間で、全国にある公民館の中で、一番人を集めたであろう公民館も眠りについています。

風の盆の中でも一番のプレミアムシート、八尾郵便局裏のベンチも空席有り。

また来年。

町中にも、日々の生活の風景が。

去り行く夏。

お隣上新町では、ぼんぼりの撤去作業が。

風情がある町には必ずあるお味噌屋さんも、上新町にはあります。

今年も、相当盛況だったようですね。

店頭には、心温まるメッセージ。

当然のように、この日は町内のほとんどのお店が閉店でした。

おわら風の盆、もう一つのプレミアムシート、おたや階段。階段として本来の役目を再開しました。それにしても、昼間見ると本当に急な階段なんですね。

おたや階段前の「踊り場」。ここも昼間見ると、そんなに広い場所でないことがわかります。

おたや階段の鏡町からは、期間中、通行禁止となる井田川沿いの小路を抜けて、八尾駅がある福島へと向かいます。

小路から見下ろす井田川はなかなかの絶景。おわら風の盆の期間中では楽しめない光景です。と、言うのも、

この小路と大通りを繋ぐ階段のほとんどがこのように急な角度のため、特に暗い夜に足を踏み外すと、惨事になることが必至だからです。事実、昨年、同じような神社の境内に繋がる階段で観光客の方が足を踏み外して重体になられたという事故が発生しています。

そもそも、ここかは狼ですら命を落とす狼地獄ですから。

夜、井田川の向こうから旧町が幻想的に光って見える仕掛けが、こちらライトアップ用の照明。ここまでくると、八尾の町全体がテーマパークのようです。

さらに階段を登り下を見下ろすと、この落差じゃ狼も生還できないよな、と妙に納得。

井田川沿いの小路下に気になる建物を発見しました。

その大きさゆえ、当初は料亭の跡地かと思いましたが、「末広屋」とは当地で有名な呉服屋の屋号らしいので、もしかしたら染物などをしていた建物なのでしょうか。いずれにせよ、八尾という町が盛況だったことがよくわかる建物です。

小路を抜けて下新町に出ると、「糀」と「塩小売所」のホーロー看板が。

諏訪町から下新町まではずっとなだらかな下り坂続いているので、歩くのはそこまで苦しくはありません。当日なるべく体力を消耗しない作戦としては、シャトルバスで東新町あたりまで行き、坂を下るように諏訪町、鏡町、下新町、天満町と移動して、最後に福島の公民館の2Fでやっているおわらを見た後、JRで帰路につくというのが王道かもしれません。

福島と天満町とを結ぶ橋の上から井田川を眺めます。本来なら、すぐ先には、同じく福島と下新町とを結ぶ十三石橋があるはずなのですが、今年は工事中で通行止めに。結果、JRの徒歩組は新しい橋を渡るために1km近く迂回することになったはず。

何れにせよ、民泊組以外がおわらを楽しむために最も必要なのは、歩き続けることに耐えられる体力。

とか言いながら、とやどこ管理人自身も、ここまで歩いて、結構体力を消耗しました。

八尾散策の最後は、福島地区でお馴染みの2Fをステージとして利用している公民館。こちらでも、男衆のみなさんが後片付け中でした。

(c)KNB
期間中はこんな感じになっています。

風の盆が終了してからまだ半日も経っていない八尾の町を歩いて感じたことは、数時間前の喧騒が信じられないくらいの日常性が町のあちこちにあったことでした。その姿は早くも362日後のおわらに向けて、その力を溜め込んでいるかのようにも見えます。

秋本番を迎える八尾の町の散策、風の盆のために真摯に日々の生活を送る八尾の方々の日常が感じとれます。そして、人混みを気にせず自分だけのお気に入り旧町のスポットが見つかりますよ。

















土曜日に重なった今年のおわら風の盆3日目、案の定現地はとんでもないことになっているようです。

まず、午後6時の時点でスポーツ公園の駐車場は一杯。自家用車を利用した、朝まで組が例年以上に多いのかもしれません。





他にも、人が多すぎのツィート多数。

90分待ちなら、スポーツ公園まで歩いた方が早いですね〜。

中には、90分歩いた方も。

今年も出てきた、フラッシュ問題。一眼レフ取り出し禁止にするしかないんですかね。

人混みの多さを実感出来るツィート。

特に、右上の写真から、踊り手さん以上にスマホの液晶が目立っていますね。

で、サロンカーおわらって?と思っていると、

こんなのが、走っていたんですね〜。久方ぶりに、富山駅にトワイライトカラーが!と思っていると、

よーく調べて見ると、この臨時列車、金沢駅どまりで、金沢からは主催したクラブツーリズムのバスで移動したみたいですね。どーして、あいの風はJRの乗り入れを認めないんだろう。

人混み以上に辛いのが、井田川の湿度から来る暑さ。1時間もしないうちに汗だくになります。

昼間は昼間で、30度を超える気温で、それなりに体力消耗します。

徒歩移動の距離が想像以上に長いのが、おわら風の盆。

やはり皆さん、22時くらいには八尾の町を後にされるみたいですね。

逆に、午後11時以降は狙い目なんですよね〜。

と、思っていたら、
ちょーど午前0:00くらいのツィートです。やはり、今年の3日目はすごかったんですね。

深夜1:30でこの人出、夜流しじゃなくて、通常の演舞が行われている時間帯と錯覚しそうです。

同じ諏訪町からの別ツィート、右上の写真をよく見ると、

うわ、とても深夜の人出とは思えない盛況ぶり。これ、来年は、金曜日から日曜日に重なっているから、もっとすごい事になりそうですね。

ちなみに、40代以上の富山ケンミンは、JRや旧北陸本線を走る列車は電車でも「汽車」と呼びます。
電車と言ったら「ちてつ」の意味になります。



かくいう、とやどこ管理人も、暑さと湿度におののいて、クーラーが効いた自室から出れずじまいでした。(苦笑)

そして、伝説となっている送りおわら、今年は、ものすごいことに、
従来、始発の高山線は、立席の客がぼちぼち出るくらいの乗車率のイメージだったのですが、今年は、
まさかの、土曜日早朝から満員電車モード。
通路に立っている人は、おわらも見えないでしょうに。かつては、ボックス席のキハに程よい数の乗客が乗って、ホーム反対側の乗客も見送り時にホーム側の窓に近づいて、車内全体が去り行くおわらを名残惜しむ雰囲気に包まれていたと聞きますが、、

ホーム外の見物の方もすごい数ですね〜。

2016 おわら風の盆 終了したようですね。

圧倒的多数の富山ケンミンと同じように、今年のとやどこ管理人は傍観者となっていました。

ただ、傍観者となっている富山ケンミンも、
新聞に別刷りのおわら特集が折り込まれ、

夕方のニュースで踊りを目にした時、

無意識のうちに、夏の終わりと、秋の始まりを感じているのです。

さらに、圧倒的多くの富山ケンミンは「一度は行きたいけど、人混みがなー、でも行きたい。」と思いつつ、やっぱり行けない、そんなおわら風の盆。

今週からは、県内各地でコンバインの機械音が鳴り響き、米の収穫の時期が到来します。


見送りましょうか 峠の茶屋まで 人目が無ければ 貴方の部屋まで


2017 おわら風の盆まで あと362日





(c)Kyodo

金メダル獲得後の登坂絵莉選手の勢いが止まりません。完全に女子レスリング界での「ポスト吉田」の地位を獲得した感があります。

そこで、とやどこでは、8.18以降の登坂絵莉選手のメディア露出状況をまとめwiki風におっていきたいと思います。

大会後の現地記者会見では、センター獲得!
実際は、吉田選手から年齢順に並んだため、たまたま22歳の登坂が真ん中になっただけですが、「女王」吉田、「レジェンド」伊調、そして「新星」沙羅など話題性には事欠かない錚々たる選手を脇に従えてのセンターポジション、まさに偶然も実力のうち。

新聞の広告では栄光の「吉田横」をゲット!
冒頭の「メダル噛み」ショット。まさに登坂をスターダムに上げた1枚となって訳ですが、そのショットが女王「吉田」の横に並びました。

AERAの表紙では、正真正銘のセンターを獲得!
「東京」世代の代表として、並み居るアスリートの中からセンター登用は、まさに快挙!
この「メダル噛み」ショットは、登坂選手の代名詞として永年に渡り人々の記憶に残るのでは。

メダル獲得後の初の国際映像は号泣のシーン
自らの栄光の翌日に目にした、姉貴と慕う「絶対女王」吉田沙保里の敗北。奇しくも、その号泣シーンは国際映像で、全世界へと配信。吉田選手の敗北が、前日のメダリストをも号泣させてしまう程の衝撃だという事を全世界が認識した瞬間でもありました。

このシーンは、リオ大会の全競技の中でも印象に残るシーンのようで、フジテレビのメダリストの特番ではエンディングに使用されていました。画面テロップからも、登坂選手が2020年の東京大会の象徴のように思えてきます。

試合前日には、「メダル噛み」宣言
(c)KNB

こちらは、地元局が取材した、試合前日の登坂選手の様子。もうこの時には、「メダル噛み」を宣言していました。いや、それどころか、

(c)KNB

まさかの、メダル「食べる宣言」! うーん、お茶目な登坂選手、ますますファンになります。

試合前日には、既に69kg級選手を押さえ込み!?
(c)KNB

ソファーの上で登坂選手に押さえ込まれているのは、なんと69kg級金メダリストの沙羅選手じゃありませんか!試合前日に無差別級で1本勝ち!?もちろん、沙羅選手はその「借り」を決勝の舞台で
あっさり返してしまいましたが。

勝負メシはあのカップ麺
(c)KNB

この地元局のレポートには、一瞬、登坂選手が前日の夕食で食べた食事の内容も映りました。よく見ると、果物とタンパク質を中心に摂っているのがわかりますが、レポーターは他にも「いつも食べているカップ麺も食べた。」と報告。

そのカップ麺とは、

こちらの日清のどん兵衛。それも、普段練習している愛知県内で発売されている西日本バージョンです。メダリストの勝負メシは、意外と庶民派なものでした。

実は決勝戦は、体に不調を抱えていた!
 (c)BBT

こちらは、最新の地元局のインタビューから。なんと、決勝戦当日は、日頃から激しい練習を行っていたせいで、首と母子球に痛みを抱えていたとのこと。特に、母子球の痛みは消えなかったらしいです。まさに、ギリギリの中から勝ち取った金メダル。

金メダル獲得直後に地元へスマホで報告。
  (c)KNB

地球の裏側から高岡に、スマホのテレビ電話で金メダル獲得なんて、本当にすごい時代ですね!
(まあ、内閣総理大臣は土管で渋谷からリオまで瞬間移動したくらいですし。)

金メダルは、クマポーチで保管。
 (c)BBT

レスリングとクマポーチのギャップ感。登坂選手の女子な瞬間が見えます。


9月2日から練習再開中。
 (c)BBT

この日も、朝7時に愛知県大府市の練習場に到着したそうです。4年後に向けた厳しい日々が始まります。

9月に「オリンピック以上に緊張する。」(本人談)イベントがある。

それは、母校の中学での教育実習。新人、登坂絵莉先生は生徒達に何を教えてくれるのでしょうか。

初の「ピン」でのテレビ出演は、北陸新幹線の開業特番。
(c)NHK

今でこそ、情熱大陸やジャンクスポーツ等、アスリート「登坂絵莉」として多くのテレビに出演していますが、それまでは吉田沙保里の「妹分」としてちょい役でテレビには映っていました。

そんな、「登坂絵莉」でのピン出演の全国デビューが、こちらのNHKで放送された北陸新幹線の開業特番。2015.3.14の時点で、この可愛い女の子がレスリングでオリンピックの頂点に達するとは誰も思っていなかったのでは。

 (c)NHK

なんてったって、アナウンサー含め、ゲストの六角精児さんはもとより、足立梨花さんよりさらに小さいのですから。

高岡が生んだシンデレラ、登坂絵莉選手、その小さな体で、まだまだ世界をどよめかせそうです。



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