2016年05月


(那覇市波の上ビーチ)

昨年のゴールデンウイーク、とやどこ管理人は沖縄から富山まで関空経由で移動。

その時は、特急はるか、サンダーバード、北陸新幹線を乗り継いでの移動だったのですが、2016年は青春18切符を意識して、あえて関空から各駅停車で富山まで移動してみました。

来たる、2016年夏の18切符シーズン、鉄分が濃いとやどこ読者の富大生、並びに琉大生、さらには富山沖縄の両「国際大生」の参考になりますよう。

しかし、那覇空港から富山駅まで11時間に及ぶ旅は、かなりハードでした。今回は、各駅停車の旅のどの部分で「飽き」がきたかも正直に語って行きたいと思います。

5月2日 9:23 那覇空港LCCターミナル
相変わらず、倉庫感満載というより、倉庫の中にあるLCCターミナル。まずは、9:40発のピーチMM212便、関西国際空港行きへと乗り込みます。

出発10分前になって、やっと後方窓側席の方から受付が始まります。

レーシートのようなピーチの搭乗券。前方の席なので、案内は一番最後でした。

9:36 徒歩で飛行機まで移動。この日の那覇市は曇り。お約束のようにゴールデンウイーク後半から、実質の梅雨入りとなる沖縄。

9:40 本来なら出発する時間ですが、まだ座席にすら座れません。まさに、LCCの泣き所である定時性の確保。LCCで利用されるエアバスの通路は一本。よって、利用客の「慣れ」も出発時刻に影響。

LCC慣れした人は、自席前に辿り着いたら、即荷物も手にして自席に入り、後方の方のために通路を空けます。しかし、不慣れな人は、通路を塞ぎながら棚に荷物を入れようと立ち止まるため、その度に渋滞が発生。この日も、そんな渋滞が多発。

9:45 しかし、そんな渋滞も、ピーチのCAが手際よく捌いていくので、5分後には全員が着席、ドアが閉まりました。ここら辺は、国内LCC実績NO1の実力を見せ付けてくれます。 それにしても、飛行機って天井からの圧迫感がすごい。

10:05 今度は滑走路が「渋滞」して、実際に飛び立ったのは、ドアクローズの20分後。いざ、関空へ。

11:49 2時間ほどで関空着。徒歩で建物へ。2時間という時間は、そこまで長いと感じることもなく、ちょうどいい時間。北陸新幹線のかがやきが1年経っても健闘している理由も納得。

と、関空までは近かったのですが、関空内はかなりの距離を移動します。まずは、何層もの階段を登り。

今度は、スロープを下り、

やっとロビーにとうちゃこ(火野正平)。

しかし、そこから駅まではバスで移動です。

バスは空港の敷地を一周していきます。乗車時間は5分以上。

12:03 やっとバスが駅のある第一ターミナルに到着。本来、乗車を予定していたJRの関空快速には、乗りそびれてしまいました。

前回のエントリー時も、LCCターミナルとJRの駅までの移動にかなりドタバタした記憶が。今回、サンダーバードではなく「各駅停車」としたのも、時間が読めないということも理由の一つです。

駅までの途中出くわした、アトリウム。記念撮影をしていたのは、とやどこ管理人だけではありませんでした。

なんかシャレオツな関空のターミナル1の駅ヨコ。これから電車の旅なのに、なぜかテンションが上がります。

南海電車のロゴも、普段見慣れない富山ケンミンにとっては旅情を煽ります。

今回は、南海の急行で先回りして新今宮駅で発車済みのJRの関空快速を捕まえます。新今宮までの所要時間は南海電車の方が短いようです。

電車のカラーリングも新鮮です。「なんば」と聞いたら、どうしてもグランド花月をイメージしてしまいます。

地元の方は見慣れているかもしれませんが、シートエンドのアームも関西の私鉄の特徴と感じます。

12:12 電車は泉州沖を快走。天気がよくて気持ちがいい。

最初の停車駅、りんくうタウンの風景。銀行や大学のビルが立ち並びます。東京における、幕張的な場所でしょうか。

12:14 ここで、路線を共有してきたJRと南海が分かれていきます。

南海電車に乗って気づいたのは、駅に着くごとに「普通車に接続します。」と入るアナウンス。「普通車って、じゃーグリーン車もあるの?」と思いましたが、普通車とは「各駅停車」のこと。これも、関西文化なのでしょうか。

12:27 南海は、今話題の「元プロ野球選手」を生んだこの街にも停車。

12:51 新今宮到着。ここでJRに乗り換えです。

南海はえべすさんにも駅があるんですね。

地面のガイドペイントは地味に便利。富山駅も早く見習うべき。

南海の改札を出ると、すぐにJRの改札が。南海の新今宮駅の中では、出店していたイカ焼きの屋台の匂いが充満。まさに、匂いで感じる大阪。(大阪のイカ焼きは、いわゆるお好み焼きです。)

JRのホームには、この電車が止まっていたので、車掌に「これ、大阪行きます?」と聞いて取り敢えず乗り込む。環状線だから、何れにせよ大阪には行けるのだとは思いますが、外回りか内回りかよく分からなかったので。

京セラドームきたーーーーーー!

13:07 大阪駅着。近代的な雰囲気です。

ホームでは、とやどこ管理人が好きな発車案内の電光掲示板を撮影。環状線なのに、東京の山手線と違い、様々な行き先の列車が発着。

本来なら大阪から、敦賀行きの新快速に乗り継ぐのですが、ここで途中下車。御堂筋の方へ行きます。

外に出て初めて気づいた、「沖縄より大阪の方が暑い!」この日は、西日本のほとんどの地域で夏日。

途中下車の目的はズバリ、串カツ! いざ、松葉総本店へ! しかし、開店前で、のれんは下がったまま。

気をとり直して、

(ハンフリー ボガード)「我々には百百(もも)があるじゃないか。We have always MoMo!」

13:25 ここ百百は梅田近辺の串カツ屋の中でもかなりディープな雰囲気。なんてったって、タバコは灰皿じゃなくてみんな床に捨てて行きます。(なんかスペインぽい、もちろんお店側の指示。)

お店は(大阪で言うところの)「お姉さん」2人組で切り盛り。

まずはサービスキャベツをツマミに、チューハイで攻めつつ、串カツを待ちます。右上が二度づけ禁止のソース壺。

13:30 五本セット到着。

13:36 牛串と黒ビールを追加。この時点で、かなりイイ感じになってきています。

13:48 大阪駅に戻ります。

と、ここで問題が。金沢まで切符を買おうにも、券売機では売っていません。みどりの窓口に並ぶ元気もないので、適当に1000円ほどの切符をポチって改札へ。

富山ケンミンの悲しい性、サンダーバードと聞くとついついホームへ。

11番ホーム、「富山方面」とあるけど、富山には行かないじゃん!と、毒付いていると、

ああ、乗り換えですね、わかります。

しかし、この表記、北陸の関西離れでなく、「大阪の富山離れ」を助長するような。早く、大阪まで通して北陸新幹線!と、思っていると、

ホームには、こんな看板が。

大阪駅でも北陸新幹線との乗り継ぎを大アピール。長野までは、名古屋経由の東海道新幹線の方が早いということは触れてはいけません。

さらに、テンションが下がるこの表記。

電光掲示板でも、車内販売がない事をアピール。

特急雷鳥の時代から、関西ー北陸間の特急は在来線一の花形区間。かつては食堂車やお座敷列車も連結し、本当にキラキラしていました。平成に入り、展望車両がついたスーパー雷鳥、そしてサンダーバードの投入と、まさに全国の在来線区間の雄として名を馳せて来ました。

しかし、北陸新幹線開業後の特急は、イマイチ元気がありません。あのキラキラした特急サンダーバードが、今では座席指定のライナーに成り下がっているような気がします。そして、関西ー北陸間にかつてあったキラキラは、まさに東京ー北陸間の「かがやき」にすべて持っていかれてしまっています。

富山ケンミンは、なんだかんだで関西好き。もう一度、関西ー北陸間、ひいては大阪ー富山間の鉄道がキラキラする事を願いつつ、敦賀行きの新快速を待ちます。

(つづく)










ゴールデンウイークの一応の最終日となる5月5日の富山駅。

午前中はまだ、嵐の前の静けさの様相です。

昨日、こんな感じだった電光掲示板も、

本日は無事に稼働中です。

そんな中、今朝の地元紙の一面、
おおっ、ついに北陸新幹線でも携帯が使えそうです。

ただし、完成は東京五輪を意識した2020年度。やっと、高崎から安中榛名までの工事が始まったばかりとのこと。

どうせなら、全く電波が入らなくなる飯山トンネル前後を先に整備してもらいたいような。


ゴールデンウイーク後半2日目の5月4日の富山、昨日に続きかなりの強風が吹き荒れ、地鉄の立山線も一部区間運休。とやどこ管理人も外出を断念。

テレビでJリーグのサッカー観戦としけこんだワケですが、
サッカー観戦と言えばビール、そのお供として買ってきたのが、こちら

昔亭(せきてい)の「うまか鰤寿し」。

この昔亭、もともとは地元のスーパーに安価にプラケースに入れたます寿司を卸していた食品メーカーで、最近では東名阪のスーパーでも流通しているみたいです。

富山ケンミンにとっては、この昔亭のます寿司、「邪道」と捉える方も多いのですが、県内のます寿司メーカーに先駆けて、ハーフサイズや一口サイズのます寿司を積極的に販売。最近では、富山ケンミンにとって、「日常の食卓にのぼる」ます寿司としての地位を確立しています。

フタを外すと「かぶらずし」と同じ人参、かぶ、昆布の千切りが本丸の鰤を飾ります。

付属のプラナイフで持ち上げると、側面にも鰤が。(ただし、全ての場所がそうだとは限りませんでした。)

全体は4つ切りですが、ビールのつまみにするには、さらに8つ切りにするのが丁度いい。

ビールも進みます。

こちら、接写の図。なかなか絵になります。

昔亭の鰤寿し、税込430円でビールのおつまみぴったり、ナイフとステックも付属しているので、北陸新幹線の中でも楽しめそうです。

とやどこ管理人は地元の「大阪屋ショップ」で買いましたが、富山駅周辺だとちてつ駅シタの「アルビス エスタ店」にあるかもしれません。


ゴールデンウィーク後半を迎えた富山駅。

5月3日、富山県内は強風に見舞われ、在来線を中心に運休が相次いでいました。

こんな日、風に弱い湖西線経由のサンダーバードが運休なのは分かりますが、

まさかのあいの風も、夕方から一部運休。

富山駅入口も強風で一部封鎖。

しかし、北陸新幹線だけは絶好調で、お昼の連続停車のかがやきからは多くの観光客の方が。

フロアシャンデリアに特設されたチューリップ花壇ごしに、人が溢れる北陸新幹線改札口を見渡します。

出迎えの方も多数、まさに「人でわやく」。

白えびせんべいも飛ぶよに売れている様子。

以前のエントリーで紹介した富山ケンミンソウルフード「とろろ昆布のおにぎり」も、とっくに売り切れ。

とやマルシェも、入口閉鎖中ですが、

値上げもなんのその、白えび亭は安定の行列。

回転寿しも、余裕の行列。

まさに、新幹線時代2年目を迎えるゴールデンウィークに相応しい盛り上がりとなりましたが、

サンダーバードの運休が思わぬ混乱を。

13:00過ぎから、みどりの窓口に払い戻しや区間変更のための長蛇の列が。

名古屋、大阪方面は13:17発のはくたか乗り継ぎのしらさぎ、サンダーバードが本日の「最終」に。しかし、その案内アナウンスを流したのが13:00すぎというトホホな対応。

駅スタッフは、東京経由の名古屋、大阪行きを案内。

案内所の受付スタッフがJRスタッフと急ぎの打ち合わせ。

まさに、サンダーバードとしらさぎに泣かされている、5月3日の北陸新幹線富山駅。

強風の影響は、サンダーバードにとどまりませんでした。

18:00より、強風により、今度はあいの風が運転見合わせ。

とやどこ管理人もまさかの足止め。東京へは行けるのに、高岡や滑川には行けないこのジレンマ。

本日はサンダーバードどころか、氷見線や城端線も16:30には終発済。ちなみに、砺波チューリップフェアは13:30に閉園。

地元テレビ局も、北陸新幹線ネタから、急遽、あいの風の運転取りやめネタに。

そんな中、北陸新幹線と並んで安定の定時運転を行っていたのがこちら、市電。この日は、環状線にサントラムが投入されるというレアな運用に。

まさに、大阪や名古屋から切り離されてしまったこの日の富山、早期の北陸新幹線の敦賀開業と湖西線の改良を望むばかり。




 
交通事故以外に何も深刻な話題がない普段の富山のローカルニュース。しかし、春シーズンがやってくると「またか」と思ってしまうニュースが駆け巡ります。

言うまでもなく、春山の遭難のニュースがそれで、「北アルプス◯◯岳付近で◯◯県の会社員が不明、県警山岳警備隊が付近を捜索中」と流れると、「またか」と思ってしまいます。
(ほとんどの場合、◯◯県の部分は東京か愛知で、不思議なことに大阪っていうケースはありません。)

そして、5月1日のローカルニュースでもそんな「またか」が起きてしまいます。

好天から一瞬にして吹雪へと変わる「ホワイトアウト」に襲われたものだと思われます、問題はその遭難に遭われた方。富山在住の山屋の多くの方が、そのニュースを聞いて「またか」ではなく「まさか」と思われたのでは。

狭い社会の富山、とやどこ管理人の「知り合いに知り合いがいる」くらいの有名な方らしく、とにかく立山登山のベテラン。登山装備も通常の登山者の倍は持ち歩くという入念な方で、まさかこのような事態が起きるとは誰も思っていなかったとのこと。

そんな登山の大ベテランでも遭難してしまう春の立山連峰、標高2450mまで「誰でも気軽に」行けるようにしてしまったアルペンルートが遭難者を増加し続ける一助になっているのは否定できません。

富山県警では、そのような特殊な事情を鑑みて全国でも珍しい「山岳警備隊」を設置しています。現役の警察官たちが山岳事故に備えて春から秋にかけて室堂ターミナルや剣の登山口馬場島に併設された派出所に常駐しています。

北アルプスを登る山屋さんの間では「滑落するなら富山県側に!」との言葉が囁かれているほどの、山岳事故における精鋭部隊である富山県警山岳警備隊。

その訓練の厳しさは有名で、50kgにも及ぶ装備を担ぎながら10Kmの雪道を走破。

まさに、命懸けの訓練を行う富山県警山岳警備隊が創設されて、今年で50年。

もともとは、立山町芦峅寺地域の佐伯氏一族を始めとする有志により結成された救助隊がその起源で、その後救助隊は県警の山岳事故の対応に「協力隊」として参加。

初期の「協力隊」のリーダー佐伯文蔵氏の「遭難者を親、兄弟と思って親身に行動せよ。」の言葉が、現在の富山県警山岳警備隊に受け継がれているとのこと。

職人技に加え、ハイテクも導入する富山県警山岳警備隊、昨年11月には最新鋭のヘリに更新、富山空港から10分で救助地に到達。このヘリ、場合によっては救助者を乗せてそのまま富山市の市民病院の屋上に降り立つことも可能です。

まさに、陸空医の三方面から遭難者の救助にあたる、日本一のマウンテンポリス、富山県警山岳警備隊、しかし一番の願いことは彼らが「活躍しない日々」が続くこと。

ゴールデンウイーク後半がスタート、富山のローカルニュースに「またか」がないことを祈るばかり。

↑このページのトップヘ