善光寺のご開帳最終日の長野駅にやってまいりました。
駅前の書店もご開帳特設コーナーを設けています。
善光寺の参道は長野駅前から始まっています。
駅の中は、人、ヒト、ひと。
駅ナカもお土産を買い求める観光客でいっぱいです。
こちらは、駅ナカにある日本酒のスタンドバー。あー、呑みたい!
北陸新幹線の改札。こいつに乗れば、富山まで45分。
料金表を見ても、富山と長野が17年ぶりに1本に繋がったことがわかります。
しかし、今回は北陸新幹線には乗らず、あえてこいつに乗って富山を目指します。いわば、かつての特急白山の風景を辿る富山までの旅です。
まずは、妙高高原を目指します。
その前に、長野と言ったらそば。立ち食いそばで長旅に備えます。
ゆで時間が3分かかる本格そば。さすが、長野、駅そばでもクオリティが高すぎます!これを食べると、やはり立山そばって、かなり特殊な「そば」だって理解出来ます。
サイドにしなの鉄道のエンブレムを構える車両に乗り込みます。
列車は定刻どおりに長野駅を発車。最初は北陸新幹線と並走します。
しなの鉄道のお供は、長野名物、野沢菜のおやきと淡麗グリーンラベル。
途中、北長野駅を出たあたりから車窓にはリンゴ畑が。
新幹線はいつの間にか、しなの鉄道をクロスして反対側に。
JR飯山線との分岐駅である豊野駅です。しかし、JRの駅票はなく、しなの鉄道の駅票に小さくJR飯山線とあるのみ。
風情があるこの駅舎は牟礼駅。北しなの線の宣伝用のぼりが立っています。
古間駅はパークアンドライド対応。
もう使われていない古間駅ホームの向こうでは、遅い田植えが行われていました。
黒姫駅では、半分以上のお客さんが下車。車内はガラガラに。
黒姫駅をすぎるとしばらく、上信越道と並走。
川の雰囲気が山奥感満載です。
ついでに、この発電所も山奥感を高めてくれます。
列車は定刻に妙高高原駅に到着。この駅からはえちごトキめき鉄道の管理になります。
ここからは、おとなりのえちごトキめき鉄道の車両に乗り換えます。
妙高高原、発車直後の橋上からの風景。かなり高いところを走っているのがわかります。
こちら、先頭部からの風景ですが、左にカーブしたあと、
すぐに右にカーブ。このような区間が続きます。このような場所をかつては、東京行きの優等列車が走っていたとは信じられません。
関山駅を過ぎてからは、周囲には美しい棚田が広がります。
そして、二本木駅で、えちごトキめき鉄道最大にハイライトがやってきます。現在では珍しい、スイッチバック駅。写真、右手の線路が本線ですが、電車は左手の駅ホームへと向かって行きます。
お隣には、反対方向の妙高高原行きの電車が同じ方向に並走してきました。
両方向の電車が仲良くほぼ同時に二本木駅ホーム到着。
再び電車はポイントまで後退。
今度は、そのまま右側の本線へ入って行きます。
二本木駅の次は新井駅。白山も停車していました。改札員用のボックスがかつての賑わいを物語っています。
そして、電車はついに新たに上越地方の玄関口にとなった、上越妙高駅に。北陸新幹線をアンダークロス!と、思いきや、
線路付け替えで、北陸新幹線と並走していきます。
上越妙高駅では、新幹線の時間と合っていない列車だったためか、乗客まばら。
むしろ、高田駅の方が乗客は賑わっていました。
ここ高田駅には、予備校なんかもあったりします。
えちごトキめき鉄道の伏兵は、ここ春日山駅でした。地元の方には常識なのかもしれませんが、かつての上越地域の二雄、旧高田市と旧直江津市の中間地点のこの地が新興住宅地として発展しているのです。
改札も行列モード。
進行方向左手に旧北陸本線が見えてきた時、それは直江津駅接近の合図でもあります。旧特急白山時代は、このタイミングでみんな一斉に席を立ち上がり、座席を方向転換させました。
直江津駅では、最近新潟県内の各駅で見かけるShu*Kura看板でお出迎え。
同一ホームで、えちごトキめき鉄道とほくほく線の車両が横並びに。同じ新潟県内同士の三セクで同士ですが、一方で、直江津在住で東京へ向かう旅客を上越妙高駅と越後湯沢駅とで奪い合うライバルでもあります。
次の乗り継ぎはこちら、17:33発、泊行き。
階段では、なぜか糸魚川が大アピール。
こいつに乗り込みます。横に並ぶのはJRの長岡行きの車両。今や、直江津駅は、JR、北越急行、えちごトキめき鉄道の三社が乗り入れる、ターミナル駅。
かつて、特急全停駅だった直江津駅における現在の唯一の特急の案内板。
撮影中も、しらゆきの回送列車が上越妙高駅へと向かって行きました。
しかし、豊山駅と同じくJRの駅名標はありません。黒井駅はJRの駅だったような、、、、。そんな、えちごトキめき鉄道の駅名標の下を抜けていく、JR東日本の運転手さん。シュール。
泊行き列車発車直前、車内は座れきれない人が多くカオスに。
直江津駅を出てからは、美しい日本海の光景が続きます。
名立駅では真横に北陸道の高架が現れました。
トキめき鉄道の日本海ひすいラインは一両編成のため、乗車率は高いまま。
梶屋敷駅を過ぎてからは左手に北陸新幹線が現れました。糸魚川駅はもうすぐです。
糸魚川駅では多くの乗客が入れ替わりました。ここでは、北陸新幹線で横浜を日帰り往復されたという泊駅が地元の四人組の片も乗車。北陸新幹線糸魚川駅は、富山ケンミンも利用しているのです。
糸魚川駅を出てからはずっと海沿いを走り続けます。もうどっぷり日が暮れて来た日本海。外の風景の撮影も困難に。こういう時は、以前のエントリーに頑張ってもらいましょう。
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18:33 ホームの真横が日本海の市振駅に到着。ここからは、車両はトキめき鉄道ですが、路線はあいの風とやま鉄道のものとなります。
市振駅名物、防波フェンス。平成元年の高波被害により設置。あの日は、長岡行きの「かがやき」が全面的に運休。富山から東京に戻る方々が、富山駅で混乱されていたのを思い出します。
市振駅と越中宮崎駅の間は、平和な日本海の風景が続きます。
たら汁の栄食堂が見えたら、越中宮崎駅はすぐ。
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この北陸新幹線の看板はいつまで残すのでしょうか。
車内には終点を告げる表示が。
列車は、泊駅の中間ホームへと滑り込みます。先ほどの横浜からの日帰り組の方々曰く、「あいの風とやま鉄道になってから駅舎横の1番線を使わなくなったので、階段の登り下りが面倒」とのこと。
多くの方がそのまま同一ホームで富山駅方面へと乗り継ぎます。
お約束の案内板。
いつの間にか、ホーム上にこんな待合室も。エアコン完備。特急停車駅時代には実現しなかった快挙です。
こんな張り紙に三セク感をひしひしと感じてしまいます。
両社のロゴが仲良く鎮座。
北陸線の旧特急停車駅共通の改札風景。それにICカードの簡易読み取り機が加わると、あいの風とやま鉄道スペックになります。
米原という表記に時代を感じさせる案内板。
10分以上待って、ホームにはあいの風とやま鉄道としては長い4両編成が到着。
電車は黄昏時の水田地帯を疾走します。19:00を過ぎていますが、西へと向かっているため思った以上に日が暮れません。
夕刻の黒部川河口を通過。車内では、これから夜の魚津に繰り出す女性二人組が会話中。話題の中心は、最近の東京方面の高速バスの安さについて。この前も、片道3,000円で東京に遊びに行ってきたとのこと。北陸新幹線の開通により、良い意味で競争が起き、廉価な交通手段が増えるのは嬉しいことです。
19:20 黒部駅着。3ヶ月前のこの時間なら越後湯沢からの「はくたか」で賑わっているはずでしたが、主役を黒部宇奈月温泉駅に明け渡してからは、ひっそりとした雰囲気。
黒部駅の次は、魚津駅。末期の特急白山に限らず、北陸線の多くの特急列車が黒部駅と魚津駅を連続停車。こちらも、待合室はひっそりとしていました。
かつては新川地区唯一の特急白山の停車ホームであり、大阪への始発サンダーバードの発車ホームでもあった、魚津駅「栄光の2,3番線ホーム」への案内板。黒塗り部分には、何と表記してあったのか。
魚津駅を出たあとは、あの昭和's遊園地、ミラージュランドの観覧車が夕陽に染まっていました。
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19:50 ようやく、富山駅に着きました。
長野駅からここまで、約4時間半。交通費は、3,600円。新幹線ならこの4分1の以下の時間で、料金はネット予約で6,380円。北陸新幹線って、本当に便利だと実感できます。
思ったより長野からの在来線の料金が高かったのが印象に残りました。これは、しなの鉄道の割高な料金が影響していると思われます。
しかしながら、これぞ鉄道という旅を十分に堪能できたため、当初の予想以上に楽しい旅となりました。
当然ですが、景色は断然、こちらが上。高速運転なのでしょうがないですが、改めて北陸新幹線のトンネルと防音壁の多さを痛感しました。
そして、何よりも、至るところでLTEが繋がったのも、地味に便利でした。北陸新幹線の長野〜富山間は糸魚川の一部と魚津トンネルを超えるあたりを除いて、インターネットはほぼつながりません。
この部分、各キャリアさんには何とかしていただきたいものです。
北陸新幹線とは一味違う、長野からの旅。長野のご在住で、弊ブログの読者の方は是非!