2015年04月

北陸新幹線が延伸開業してから早くも1ヶ月以上も経過しようとしています。開業日前後のお祭り騒ぎも一段落し、まさにこの時期こそが北陸新幹線延伸の真価が問われようしている時期です。そんな中、延伸開業後の北陸新幹線は首都圏でどのように伝えられているのか。

とやどこにJR中央線の三鷹駅が熱いというコメントが寄せられたので、延伸開業からちょうど一ヶ月を経た4月14日に東京は三鷹市の三鷹駅に行ってみました。


JR三鷹駅の入口と改札です。ここ三鷹駅は新宿駅からは20分ほどの場所に位置し都心とは言い難い場所なのですが、それでも平日の昼間にこれだけの人出なのはさすが東京です。

まずは、駅入口の階段横に、いきなりに北陸三県のウフフが揃い踏みです。まさか、三鷹駅できときと君に出会えるとは思いませんでした。


改札を出て新宿方面のホームに降りようとしたら、階段前には北陸新幹線の路線図とE7系が大アピール。ここは目立つ場所です。都心に向かう通勤利用のみなさんが毎朝これをご覧になっている訳です。長野は善光寺、上越市は高田城、金沢はひがし茶屋街なのに対し、我が富山はなぜかホタルイカ。しかし、ここでのアピールは絶大です。

ホームへと階段を降りようとすると、そこにはびゅうプラザ(JR東日本の旅行会社)の北陸新幹線ポスターが連続でお出迎え。

反対側の階段にも今度は「北陸新幹線に乗ろう!!」ポスターがお出迎え。ここが中央線の駅である事を忘れてしまいそうです。

そして、究極は中央線快速のホームど真ん中に、「行きたかった、あの日本へ。」ポスターが鎮座!

それも、石川県バージョンを差し置いて、五箇山バージョンの投入です!やるね、三鷹駅!(または、ジェアール東日本企画!)

今回の三鷹駅訪問で気付いた事は、これらのポスターが想像以上に目立つ場所に位置していたということです。

開業から一ヶ月を、北陸新幹線のPRはまだ始まったばかりです。

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富山市岩瀬地区。江戸時代は北前船の拠点として大いに栄え、明治に入ってからも貿易港の町として富山市の海の玄関口としての役割を長年に渡り果たしてきました。


北前船で巨万の富を築いた富山市岩瀬地区の森家。重要文化財に指定されています。


そんな、岩瀬地区には1920年代に富山市中心部とを結ぶその名も「富岩鉄道」(ふがん)が開通。後にちてつの前身となる富山電気鉄道と合併しますが、戦時中に貿易港を結ぶ交通機関だったため鉄道省に移管。そのまま戦後も国鉄とJRの「富山港線」として営業してきましたが、1990年代以降は度々廃止論争の俎上に乗せられてきました。

転換となったのは2002年に初当選した森雅志富山市長が掲げたコンパクトシティー構想。鉄道を中心としたコンパクトな街づくりを目指すこの構想が、赤字の富山港線に白羽の矢をたてたのでした。

森市長は赤字だった富山港線をJRから無償で譲り受け、路線の全てをLRT化。全国でも初となる普通鉄道を軌道化するという試みで、赤字路線は一躍鉄道王国富山のシンボルとなりました。

今や富山市北部地域の重要な足として根付いているポートラムことライトレールに富山駅北から乗ってみました。

始発駅のライトレール富山駅北駅です。富山駅に隣接しているのに、富山駅北としているのは、5年後をめどに一足先に駅下に乗り入れている市電と相互乗り入れをするためです。ライトレールの各駅のデザインはこのスタイルで統一されています。

乗車前に富山駅北口駅舎でICカードを購入。富山駅北口駅舎はあいの風とやま鉄道の管理ですが、ライトレールのサービスカウンターも同居。しかし、あいの風とやま鉄道ではこのICカードは使えません。逆にポートラムではSuicaは使えません。その部分が複雑です。

こっちがICカードPASSCAの実物。運賃が20円割引の180円となり同一日の4回目以降の乗車は無料。さらには、市電の運賃も20円割引となるため地元人の多くが所持。カラバリは色々あるみたいですがライトレールの気まぐれで発行。(発注ロットごとに色が変わる?)本当はオレンジ色のが欲しかったのですが、窓口の方に紫のしかありませんと言われてしまいました。

路線図です。13駅を24分間で結びます。

そうこうしているうちに、ポートラム登場。

車内の様子です。新幹線開業を機に、今回座席シート地をE7系と同一のものリニューアル。ポートラムの本気度が伺えます。

いざ、出発。(もちろん別撮りです)

ポートラムは富山駅北口の街路樹にそって進みます。運転台前方に見えるモニターは車両後方とドア横を映しています。

しばらくして、ポートラムは右折。

1分後最初の駅であるインテック前に到着。富山市のシンボルとなっているガラス張り高層ビルが本社です。

インテック前発車後は、螢川のモデルとなったいたち川を渡ります。

しばらくして、今度は左折。ここまでが、ライトレールとして道路上に新設された区間で、左折した後は旧富山港線だった専用軌道を走ります。

専用軌道に入った最初の駅が奥田中学校前。ライトレール開業時に新設された駅です。

駅には多くの奥田中学校、通称「奧中」の元気なみなさんが。

専用軌道区間はそれなりのスピードで疾走します。

こちらは粟島駅(大阪屋ショップ前)。カッコ書きは注釈ではなく、正式な駅名の一部。富山県内に多くの店舗を構えるスーパー大阪屋ショップの請願駅として新規に開業しました。

こちらは城川原駅。富山港線時代に車両基地があった関係で、ライトレールの本社が併設されています。

城川原駅にはポートラムの車両基地も併設されています。

途中、旧富山港線のガーター跡を横目に運河をオーバークロス。

蓮町駅では、ポートラムと富山市四方地区を結ぶフィーダーバスと遭遇。

こちらは東岩瀬駅。奧に見える建物が富山港線の旧東岩瀬駅とホーム。取り壊しを免れ、待ち合い室として利用されています。向かい側がライトレールの富山駅方面へのホームです。

こちらが、最終駅の一つ手前の競輪場前駅。かつては、競輪開催日のみの臨時駅でしたが、ライトレール開業とともに常設駅に。しかし、この日は非開催日だったので、利用者は無し。

車窓に運河上のマリーナが見えたら終点の岩瀬浜駅はすぐ。


24分かけてポートラムは岩瀬浜駅に到着。

駅ヨコはバス乗り場になっています。ここからは、薬業の町富山市水橋地区へのフィーダーバスが出ています。また、休日には新湊大橋経由で海王丸パークへと行くバスも運行されます。

先ほどのマリーナ方向に歩いて行くと、表れるのは岩瀬カナル会館。 前回紹介した、富山環水公園とはポートラムと並走する「富岩運河」を行く富岩水上ラインで結ばれています。

日本海の宝石白海老を食べることが出来るレストランもあります。

会館の後ろがマリーナとなっています。またここは、富山港線時代から鉄道の撮影スポットになっています。この写真も、本当はポートラムが橋の真ん中に差し掛かった時にシャッターを切りたかったのですが、なかなかうまくいきません。

こちらは、タイミングが遅すぎた写真。

今度は、桜とポートラムというテーマでシャッターを切ろうとして、やはり失敗。

しかし、ポートラムを見ていると、あちらこちらでこいつの写真を撮りたくなってきます。やはり、こいつはE7系以上の伊達男だからでしょう。そこで、

とやどこからの提案

北陸新幹線の次はポートラムの撮り鉄をしよう!

新潟トランシス製のその車両はその中も外も近未来的な印象を与え、鉄道王国富山のシンボルに相応しい様相です。以前のエントリーで、市電や高岡の万葉線を「昭和」と表現しましたが、同じ軌道でもポートラムは「今」なのです。

E7系で感じる躍動感をポートラムでも同じように感じることができます。例えば、
岩瀬浜駅近くを疾走するポートラムのフェイスと、

新高岡駅でのW7系のフェイス(実際にはテイルですが)、

時速60kmの小柄の奴が、時速260Kmのモンスターに全くひけをとらない存在感を表しています。これもポートラムが持つデザインの妙なのですが、それにしても素晴らしい。E7系の10年も前にデザインされた車両が、色あせるどころかむしろかがやいているなんて。

富山駅北を発車前のポートラム、芝生を敷き詰めた軌道なんて新幹線には真似が出来ない芸当です。


画質が低いですが、雪の日はこうなります。

とにかく、いろんな場所でシャッターを切りたくなるポートラム、富山の撮り鉄のイチオシポイントです。

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ついに登場します、富山観光のツートップ、立山黒部アルペンルートと黒部峡谷トロッコ電車が!

と、行きたいところですが、早くも黒部峡谷トロッコに暗雲が。

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    (C)KNB

昨日、終点の一つ手前の小屋平駅で雪崩が発生しているのが発見され、当初から延期が予定されていた全線開通がさらに延びる見込みとなりました。(写真は北日本放送 NEWS EVERY 4月16日放送分より)

よって、全線開通は5月28日に再延期となりました。

また、その他数箇所の地点でも雪崩が発生していたため、4月28日に予定されていた部分開通も当初予定の宇奈月温泉〜猫又間を二駅手前である笹平までの営業に短縮して営業ということになりました。
この笹平駅、周囲は本当の峡谷だらけで「普通の観光客」にはハードルが高すぎる本当の秘境駅なので、実質は一つ手前の温泉がある黒薙駅(くろなぎ)までの営業ということになります。

ゴールデンウイークをまるごと逃してしまうのは黒部峡谷鉄道にとってかなりの痛手ですが、その分観光客が集中するのが今月16日に開通した立山黒部アルペンルートではないかと思われます。

この立山黒部アルペンルート、今まで首都圏の方は長野県側の信濃大町から向かわれることが多かったと思います。富山県側から入られる方は、主に西日本の方と本当に山好きで春スキーを楽しむ一部マニアの方のみでした。

それが、今年のGWには東京から毎時間12連のE7系がやってくる訳なので、立山黒部アルペンルートもどういうことになるのか想像もつきません。

さらに今年は円安の影響もあり、初日から大勢の外国の方々も訪れている様子です。
  
 (c) TOYAMA TELEVISION BROADCASTING Co.,ltd.
(ちてつのレッドアローも外国人観光客がジャック)

そんな立山黒部アルペンルートの中でもアキレス腱となっているのが、ちてつの終着駅である立山から出発する立山ケーブルです。アルペンルートの実質上の最初の乗り物となっているこのケーブルカー、たかだか距離は1.3kmなのですが、ピーク時には2時間待ちは当たり前な状態になります。

それもこれも車両の定員がたったの72人、E7系の一両分にも満たない上に、交換ポイントを除いて単線運転の状況の中、一日に何千人と訪れるので、当然といえば当然なのですが、そこで今回は立山ケーブルで待ち時間を極力少なくする方法を経験の中から提案したいと思います。名付けて、

とやどこからの提案
立山ケーブル攻略
スペシャル

1 団体客でなく個人客としてアルペンルートへ行きましょう!

現地に行かれた方なら分かりますが、立山ケーブルの改札は一般改札と団体改札に分かれています。ツアー客は参加者全員を同じ車両に乗せる必要があるため、定員分の空席が発生する車両を待ち続けることになります。

しかし、個人客の例えば3人組なら、ツアー客が乗った車両の余剰スペースに乗せてもらえることとなり、事実上の「優先搭乗」の恩恵を被ることになります。

ここでの個人客とは、実際に立山駅でケーブルの乗車券を買った人を指しますが、とやどこ管理人自身が何度も実際に経験したことです。

2 雪の大谷が目的なら、思い切って午後から立山ケーブルに乗るのも手。

この季節のアルペンルートの目玉雪の大谷を見たいなら、比較的すいている午後便に乗るのも手です。雪の大谷の期間は、日も長いので15時くらいに室堂ターミナルに着いても十二分に雪の大谷を楽しめます。


こちらは、開通日16日の室堂ターミナルからの地元局から中継ですが、夕方五時近くでも十分明るく、観光客の方も多いです。

3 富山市内のホテルに前泊し、ケーブルカーの始発に乗る。

これが一番のおすすめです。ただ、立山駅の駐車場はピーク時は、朝9時前には満車状態になるので(運営上は、駐車場が満車になったら、常願寺川の河原に駐車となります。)、待ち時間が全くない訳ではありません。

ちなみに、春スキーを楽しむ猛者は富山駅前にホテルをとり、始発のちてつで毎日室堂へ「通勤」する方もいらっしゃいます。

今年は、5年ぶりに19mを超えた雪の大谷、現地は冬の気候なので服装は冬の装いで。

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思えば学生のころ、富山と東京を往復するのに長岡経由の「かがやき」を利用するなどということはほとんどなかった思います。

長期休暇シーズンなら青春18きっぷを使い8時間以上揺られて、それ以外のシーズンは急行「能登」で夜汽車に揺られて富山(又は東京)に向かわれていた学生の方も多かったと思います。
実際に、新幹線を利用して北陸と東京を往復するのは当時も今も学生の方にとって金銭的負担が大きく、このような廉価な交通手段の存在は当時としてもとても有り難いものでした。

北陸新幹線の開業ウィークには多くの30代40代の首都圏からの方を車内でお見かけしましたが、その方たちもおそらく学生当時このような「貧乏旅行」(このような表現は本当は使いたくないのですが、分かり易いように。むしろ、あのころの鈍行列車の中で感じた高揚感は今となっては絶対に手に入らない貴重な瞬間でした。)で北陸を旅行され、今社会人となってお金を稼ぐようになり、改めて新幹線で北陸を訪れられたケースが多かったと思います。

このように、廉価な交通手段というのは、5年後10年後のリピーターを作る大事な手段となっているのですが、時代の流れとともに急行「能登」は消滅し、さらには富山と長野と新潟の多くの路線で青春18きっぷは使えなくなりました。

そのような中、新幹線や飛行機に対抗して第三の交通機関として生き延びているのは高速バスではないでしょうか。それも昨今は大手のバス会社が運行するレガシィな高速バス以上に、新興のバス会社が運行するいわばバス業界の「LCC」が盛況です。

今回、平日の夜ということもあって、富山から東京まで3300円、所要時間は6時間30分というバスを発見したので実際に乗車してみました。北陸新幹線と比較して3倍の時間がかかりますが、コストは三分の一以下なので、バランスはとれている価格設定です。

深夜近くの富山駅北口です。右側に見えるのはポートラムの乗り場。もちろん終電は発車した後です。真ん中に映る人影は高速バスを待つ女性の方です。深夜の富山駅北口の周辺は、深夜バスを待つ女性の姿が本当に多かったです。

あいの風とやま鉄道もすべて運行を終了している時間です。地方は首都圏と比較して終電の時間がかなり早いのです。

しかし、待合室には多くの高速バスを待つ方が。半分は女性の方でした。
平日の深夜バスで東京に向かう方は、普段どのような仕事をなさっているのでしょうか。

大手のバス会社は新幹線口でもある富山駅南口に乗り場があるのに対して、新興バス会社はここ北口に乗り場を設けています。あのウィラートラベルもここ北口から発着。

この時間は各社のバスがひっきりなしに富山駅北口に到着。多くは、金沢と高岡を経由してきます。こちらは、中日本ハイウェイバス。

これが、今回乗車するオリオンバス。格安スキツアーでおなじみの会社。このバスにチケットというものはなく、係員の点呼を受けて乗車するスタイル。富山からの乗車は12人。うち3組が明らかに舞浜のテーマパークまで行こうとされていた、女性同士のペア。あのテーマパークの集客力を改めて実感。

座席の様子です。毛布とスリッパ、ついでに充電用コンセント付きです。北陸新幹線のエントリーで、コンセントの電圧変化が激しいと書きましたが、こちらのバスのコンセントの電圧は非常に安定していて、停車時や出発時も全く電圧の変化は起こりませんでした。ハイテクの権化のようなE7系がコンセントでは、アナログな高速バスに及ばなかったということになりますが、新幹線というのはそれだけ多くの電気を消費しているとうことでもあるのでしょう。

車内は満席。富山駅を出ると、バスは国道41号線を南下し北陸自動車道の富山インターを目指します。途中、注意事項を説明したビデオを流しながら、最初の休憩は30分後の有磯海サービスエリア(富山県魚津市)とのアナウンス。富山駅からの乗車組にとっては早過ぎる休憩ですが、金沢からの乗車組にとっては乗車後2時間ほど経った頃なので、それを考慮してのことでしょう。

有磯海サービスエリアに到着しました。同じ様な高速バスが隣にも止まっています。

深夜の有磯海サービスエリア。人は、なぜ深夜のサービスエリアに降り立つと、えもいわれぬ高揚感に襲われるのでしょうか。鉄道とはまた違うワクワク感があります。

店内には色々な美味しそうなものが。最近の高速道路のサービスエリアはJRの駅以上に、お土産が充実していて見ているだけでも楽しめます。

そして、ついつい買ってしまうぶりずし。

本来はライバルのはずの「鉄と陸」ですが、北陸新幹線を祝ってしまう余裕の風格。北陸の高速交通を30年以上担ってきた自負からでしょうか。

圧巻は、E7系オンザ北陸自動車道!ライバルのミニチュアまで売ってしまうNexco中日本の余裕。さすが、北陸新幹線の開業記念でETCの割引企画出すほどの会社です。

この後バスは消灯しカーテンを閉め切ったまま、次の休憩中である長野県の松代サービスエリアに向けて走り出しました。車内は真っ暗何ですが、変な高揚感がありなかなか寝つけません。車内では睡眠をとっている方もいるのでスマートフォンを見るわけにもいきません。

深夜3:00、松代サービスエリアに到着です。ここでも多くのバスが休憩をとっていました。カメラの性能の関係で文字が滲んでいますが、行き先は全て舞浜のテーマパークとなっています。かのテーマパークは日本一深夜バスが発着する場所となっているのでしょうか。

こちらのサービスエリアは、深夜営業のお店はなく、ただ自販機が煌々と闇夜を照らしているだけでした。

次の休憩地は埼玉県の三芳サービスエリアです。バスが出発するした後は、さすがに眠りに入りました。

朝5:15三芳サービスエリア着。もう外が明るくなっています。

24時間営業のコンビニもあるため、多くの車が休憩をとっていました。中には、富山や石川ナンバーの車も数台見かけました。北陸新幹線開業後も、高速道路は北陸観光の重要な交通手段として多くの人に利用されることでしょう。

この後バスは最初の降車地である新宿西口に向かいます。この時間からは眠りにつく人もまばらで、みなさんスマートフォン等を見ながら時間を過ごされていました。

定刻の6:20に、新宿西口に到着。場所はあの東京モード学園が入るコクーンビルの前です。

これぞ東京と言った風景を目の前にして、また高揚感を覚えます。急行「能登」で上野駅に降り立った当時の若者も同じ様なことを感じたのでしょうか。

早朝の新宿駅西口です。深夜バスでの移動は、暗闇を走る続けたら突如目的地がやってくるため、昼間の鉄道での移動のケース以上に大きな高揚感を感じると実感しました。

しかし、寝不足も相まって、お昼くらい前から猛烈な睡魔に襲われたのも事実です。深夜バスは時間を有効利用できる利点もありますが、到着した当日は疲労がたまっているのも事実なので、出来ることなら観光地へ向かう時よりも、観光地から自宅へ帰る時に利用した方が良さそうです。

富山からの3300円の帰宅便、多少疲れますが、あのころの高揚感は味わえますよ。




北陸新幹線の延伸開業後、富山県内を走る在来線特急は富山駅を起点とするJR高山本線の特急ひだを除いて、すべて廃止された訳ですが、これを停車していた特急の「廃止率」という視点で見た場合、高岡駅ほど発着する列車が大きく減少した駅も他にないのではと思います。

何しろ、3月13日までは、大阪、名古屋、越後湯沢、新潟方面の特急、ついでに臨時のトワイライトエクスプレスと、北陸本線を走る全ての特急列車が停車する「全停駅」だったにもかかわらず、一夜開けたら長大なホームに停車するのは二両編成のあいの風とやま鉄道のローカル列車のみとなった訳ですから。

そんな、一夜にして「逆シンデレラ」となった高岡駅に行ってみました。

正面入口となる古城公園口側の外観です。赤いネオンの文字は併設された駅ビル「クルン高岡」のロゴです。駅名表記の横にJR線と万葉線の表示はありますが、あいの風とやま鉄道の表示はありません。
丁度セブンイレブンの真下あたりに、一年前から駅ナカに乗り入れた路面電車の万葉線の乗り場があります。

駅前の様子です。再開発も進み、高層ホテルと複合ビルが鎮座。この風格は、新高岡駅前はもとより、県都がある富山駅の南口をも凌駕してしまう勢いです。まさに、商都高岡の面目躍如です。

改札前の案内表示です。当然のように全て「普通」の表示。時間帯によっては3列ともに赤字の「特急」の表示になったのも今は昔。

こちらは、自動券売機がある場所ですが、自動券売機が数台撤去されているのがわかります。

改札前の案内板。新高岡駅がある方向の出口は瑞龍寺口と名付けらています。

改札前から瑞龍寺口まで行く自由通路途中にご当地萌えキャラ発見。こちら、(おそらく)高岡大仏を模したあみたん。

お次はカノン。

最後はセシル。どうせなら、県外からの観光客の方が多い新高岡駅にもこれらの萌えキャラを登場させればいいPRになったのにと思いますが、JR西日本がW7系にはそぐわないとダメ出ししたのか、新高岡駅では誰一人彼女らに出会うことはありませんでした。

こちらが瑞龍寺口の外観、いわゆる裏側の入口ですが、コンパクトにうまくまとめてあるデザインだと思います。県都富山駅の北口と違い、県外からのお客様にもお見せできる外観です。
(富山駅北口外観 日本全国の新幹線停車駅の中でこれほどcoolじゃない外観を持つ駅もないと思います。)

今度は駅ビル「クルン高岡」の様子です。入口横のKAWASE cafeはコーヒー一杯が90円。夕方になると地元の高校生で賑わいます。

中に入ると、彼がお出迎え。高岡市は今や世界中で有名になった彼が生まれた場所です。

高岡市の高岡市美術館では現在、藤子F不二雄展を開催しています。のび太君の部屋のタイムマシーンも実際に中に入れるように展示してあって、なかなかの盛況ぶりです。

店内では、地元の名産品に混じって彼もお土産として並んでいます。

真下にある万葉線の乗り場にも彼が登場です。

万葉線乗り場横のエスカレーターからはクルンの地下街へと行くことが出来ます。高岡駅の地下街の歴史は古く、高度経済成長期に「日本海側で初」の地下街として鳴り物入りで登場しました。県都富山市には未だに地下街など存在しないので、ここらへんにも商都高岡の矜持を感じることが出来ます。

通路歩き、その先にあった光景は、

本当に誰も歩いていない地下「街」の光景でした。撮影時刻は平日の夕方。本来なら帰宅する客で賑わう時間。もちろんお店は全て営業時間内。早朝や深夜に撮影したやらせではありません。

地下街を一周してやっと人を見つけました。テーブルで自習をする地元の高校生のみなさんです。少なくとも買い物をしている方を見つけることは出来ませんでした。

    (c) KNB

この状況は、早速地元局の夕方のニュースでも取り上げられていました。(北日本放送NEWS EVERY 2015年4月14日放送分より)

    (c) KNB
     
テナントの方々はかなり深刻な状況です。

こちらはイベントスペースと、大型ビジョンです。この大型ビジョンを広告スペースとして販売中でしたが、これを撮影している最中、誰一人この前を通った方はいませんでした。

同じ時間帯の高岡駅改札内の様子です。夕方だったので、それなりの数の方が駅を利用されていました。しかし、特急列車が停車していたころのこの時間帯は、さらなる人がここに溢れていたことは容易に想像出来ます。

地方都市の駅にとって特急が停車する否かは、その街全体の商業活動に影響を及ぼすことを改めて実感させてくれた高岡駅訪問でした。
国鉄深谷駅の時代から特急停車の陳情合戦が繰り広げられる理由もよくわかります。

中核都市として相応しい駅前の様相に、機能的に整備された新駅舎、どれもこれも県都にある富山駅を凌駕している高岡駅に再度かがやいてもらいたいものです。

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