2015年03月

北陸新幹線をPRしたポスターと言えばJRの「ウフフ」が有名ですが、富山県が独自に製作した物もあります。
それが、「映画一本の時間で、映画のような世界へ。」のこちらのポスターですが、最近はほんとうに富山県を舞台にした映画が多くなりました。

最近では、高倉健さんが主演の「あなたへ」、さらには三浦友和さんが「ちてつ」の運転手に扮した「RAILWAYS 愛を伝えれない大人たち」。それぞれ、立山連峰とどこまでも続く田園風景など富山の雄大な景観を随所に散りばめてあります。これらを最新のハイビジョンテレビで見ていると、地元に住んでいても「ああ、富山に行きたい!」とわけがわからないことを思ってしまうから不思議です。

実は、富山には「富山フィルムコミッション」という組織が存在し、映画やCFに向いている富山の美しい風景を各制作会社に紹介。
よって、富山を舞台とする映画は必然的に「映画のような世界」になるのですが、そんな「フィルムコミッション」が存在しない時代に作られた映画がここに一本あります。タイトルは「螢川」。作家宮本輝が芥川賞を受賞した同名の作品を映画化し、1987年に公開されました。

高齢の父から生まれた主人公が父の死、さらには父の友人の死を乗り越えて大人になっていくというストーリーなのですが、その中には「映画のような」富山はなく、薄暗く曇った街に雪が寂しく降り続ける、いささか雪国をデフォルメしすぎた富山が映し出されています。このシーンに加えて、「父の死、父の友人の死」というストーリーが、富山という場所のイメージを偏った方向へと加速させていきます。
最後に、主人公は「蛍川」で無数のホタルに囲まれる幻想的なシーンの中で、生と死のつなぎ目を感じるのですが、ホタルという「陽」の存在を引き立たせるために富山の街が「陰」として描かれているのも少し残念な気がします。

そんな陰の中の陽として登場した「螢川」ですが、実際にモデルが存在して富山中心部を流れる「いたち川」がそれです。一応は、富山市中心部の住人の憩い場所として川べりは親しまれているのですが、その名前が災いしてか全国的にはもちろんのこと富山市、富山県自身が観光資源としてのアピールは全く行ってません。

そんな「いたち川」、上っていくと二つに分かれ、片方は「松川」と名前と呼ばれています。この「松川」、実はその川べりは富山市中心部の顔としてありとあらゆる媒体に取り上げられてきました。まさに、ネーミングというのは物事を売り出すための大きな要因になるという一例です。「いたち川」を「螢川」としてしまう芥川賞作家もすごいですが、当の富山県民の多くが「螢川」=「松川」と思い込んでいる現実もあります。

そんな、新時代の「螢川」である松川に、今年も船が渡り始めました。
http://www.goodlucktoyama.jp/yuuran/index.html  (富山遊覧船株式会社ホームページより)

松川観光遊覧船と呼ばれているその船が松川を下るとき、富山に春が訪れたことを意味します。そこで、

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新「螢川」から映画の富山を堪能してみよう!

松川べりにはソメイヨシノ植えられ、その周辺は桜町、桜木町という地名がつけらているほど、富山市内の桜の名所となっています。そんな桜のトンネルを船で渡っていくのが松川遊覧船なのです。船から桜を見ると言えば、京都の琵琶湖疏水の十石船観光船が有名ですが、この松川は川幅が狭いためその桜の迫力たるや琵琶湖疏水の比ではありません。本当に、映画を見ているような光景を目にします。
さらに、夜にはライトアップ。(富山遊覧船株式会社ホームページより)
こうなると、本当に春の夜に紅色のホタルが舞っているかのようです。

民間の気象会社によると、松川べりの桜の開花は4月4日とのことです。

みなさんも、是非、新「螢川」こと松川で映画のような富山を生で見てください。

尚、いたち川の名誉のために付け加えますが、映画「RAILWAYS」では、いたち川べりが仲を取り戻した夫婦が穏やかに散歩するシーンで美しく描かれています。

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日本に初めて新幹線が走ったのは1964年。時速210キロの夢の超特急が東京と大阪を結んだその年、富山にも街中を時速20キロで駆け回る「最新」の路面電車が導入されました。

形式は富山地方鉄道7000形。市民には「市電」と親しまれたその電車も、まさか50年後に、今度は時速260キロの最新鋭の新幹線と顔を合わせるとは思ってもみなかったはずです。

そんな、ハイテクとローテクが顔を合わせる富山駅で、実際に新幹線を降りてから市電乗り場まで移動してみましたが、そこには高度経済成長期の日本がありました。


人で溢れる開業2日目のホームから階段をおります。

階段で目につくのがこの広告。富山市に本社がある北陸電力の広告ですが、しっかりと「かがやき」の文字が。この数ヶ月間、富山の広告のコピーとして最も使われている言葉ではないでしょうか?

階段を降り、中段ロビーからの風景です。一番向こうに見える二階デッキの真下が市電乗り場。本当に新幹線の改札から一直線です。

改札手前の左側には、立山連峰のパノラマが。多くの人がここで記念撮影をされていきます。

改札を抜けると本当に目の前に市電乗り場がありました。実際の表記は「路面電車のりば」。かつてあった「富山地方鉄道市内線」の案内板よりも、よっぽどいい表記です。

さらに進んでいくと、そこにはあの7000形が!まさに、2014年生まれのE7系から徒歩1分で、1964年生まれの名車に遭遇した瞬間です。何かと話題のE7系ですが、ここ富山では7000形が大先輩。初代新幹線0系と同世代の大御所の登場に、さすがのミスター260キロも畏敬の念を抱いていることでしょう。

中に入って見ると、横には環状線のセントラムが。そして、右側には「富山駅」の駅票が。実は「富山駅」はちてつの中で最も新しい駅、つまりこの日は路面電車の富山駅の開業日から2日目でもあったわけです。

こちらは路面電車の入り口からの眺め。今度は最新型のサントラムと名車のツーショットです。この日も多くの方が、次から次へと発車する様々なタイプの路面電車にシャッターを切っていました。

今度は路面電車のりばの手前にあるらせん階段を登って行くと、

路面電車のりばの真上の二階デッキへと続きます。テーブルは自由に使えます。

二階デッキから下を見下ろせば、富山駅が誇るフロアシャンデリアが見えます。

もう一つ人気だったのが、この透明なエレベーター。発車する市電を眺めながら、二階デッキへと上がっていきます。このように、富山駅の路面電車のりばゾーンは上も下もいて飽きることがありません。ということで、

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富山駅でE7系を降りたら、1964年にタイムスリップしよう!

最新のE7系を見送ったすぐ後に7000形の走る姿を見た時は本当に不思議な気分になりました。

とにかく走るのが遅いのです。時速200キロ台から時速20キロ台に変わったのですから当然なのですが、それにしても遅い、自分が走ったら追いつきそうな速度です。追いつきそうと言うよりも、信号ですぐにとまってしまうので、実際に追いつきます。

それでもまた電機音を唸らせて必死に走ろうとする7000形は、まさに日本全体が泥臭く必死に走った高度経済成長の姿に重なります。

260キロの静寂な車内から、揺れと電機音で溢れる26キロの車内に入った時、我々は本当に1964年の富山に来たのかもしれません。さらに、この7000形はもともと東京の都電がモデルとなっています。そう考えると、そこは高度経済成長期の東京でもあります。

まさに、「かがやき」が2時間8分かけて50年という時間を遡り、1964年の東京に来たのです。

東京駅から2時間かけて来る時間旅行はいかがでしょうか?

尚、実際に、この路面電車とその周辺の景色はかつての高度経済成長期を舞台としたドラマ「不毛地帯」のロケに使われています。
 「近畿商事」の本社として登場する富山電気ビルディング。目の前を、市電が走ります。(写真はWikipediaより)
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繰り返しになりますが、各テレビ局が北陸新幹線一色になった3.14。とやどこでは、radikoを駆使して東京、大阪のラジオが北陸新幹線をどう扱ったかも調査しました。

そこではテレビでは絶対に出てこない本音を語る出演者が多かったです。

時系列順に見ていきます。

まず、3月14日の朝6時のTBSラジオ
「土曜朝イチエンタ。堀尾正明+PLUS!」
では、当然のように東京駅からの出発式の模様を生中継。

11時のニッポン放送
「ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回」
では、冒頭から出演者の和田アキ子さんが、
「北陸新幹線のCMってなんであんなに多いんだろう?」と本音が。しかし、その後「あの金沢の寿司の写真見ると本当に行きたくなる。」とフォロー。残念ながら富山についてのコメントはなし。

12時のTBSラジオ
聞けば見えてくる北陸新幹線~開業当日60ミニッツ
こちらは、本当に北陸新幹線の特番。
金沢、富山、飯山、北陸新幹線の車内のそれぞれから中継が入った内容でした。富山の中継担当は地元局のアナウンサーでしたが、富山での放送はなし。金沢での放送はあったようです。

北陸新幹線から中継を担当したTBSの小林豊アナは「この新幹線の電力供給先は糸魚川で、東北電力から北陸電力に変わる。」と珍しい着眼点でリポート。さらに乗車したはくたか号が5分以上の遅れだっため、金沢駅への到着レポートが番組終了までに間に合わない事態に。

司会のTBS安東アナから声が可愛いと評価されたのは、富山からの中継担当の小林淳子アナ。路面電車や富山ブラックをレポート内でアピールされていました。

ゲストは旅行作家の野田隆さんだったのですが、「移動時間が短くなった分、地元の在来線に多く乗れる。富山はいろんな電車がある。」「高山も、名古屋経由よりも富山経由の方が速くなった。」と、経由地にされてしまったとは言え、地味に富山をアピールしていただきました。

そして、13時からはTBSラジオ
「久米宏 ラジオなんですけど」
この番組は首都圏のラジオでも聴取率がベスト5に入るくらいの人気番組なのですが、冒頭から久米宏さん曰く「今日は北陸新幹線の開業日でもありますが上野東京ラインの開業日でもあります。今日は上野東京ラインについてみなさんのご意見お待ちしております。」と、上野東京ラインに完敗モード。昨年の全国高校サッカー選手権で富山第一高校が優勝した時は番組内で特集までしてくれたのに、残念です。

そして、翌15日は正午からニッポン放送、
中村こずえのみんなでニッポン日曜日!」

実は、この番組は普段は東京では放送されてないのですが、北陸新幹線の特番として15日だけ、東京でも放送されました。

東京地区のスポンサーは「日本海みそ」と「富山常備薬グループ」。特に東京のラジオからあのキダタロー作曲の「雪がしんしん降る朝は」の日本海みそのCMが流れるのは感動しました。

そして、何よりも、この番組は富山駅から放送されたのでした。もちろん、富山でも放送されました。

番組は、立川志の輔、室井滋、柴田理恵と言った富山を代表する芸能人の方のインタビューとリスナーからのメール、さらには、県内の各地からの中継で構成。北陸新幹線というよりも、富山の紹介番組となっていました。

立川志の輔さんはインタビューの中で、実は新幹線開業日の前日も富山にいたのに、東京からの始発のかがやきに乗るためだけに、東京に戻ったことを告白。実は大変なスケジュールをこなされていたのですね。

番組の最後では、「食べたい富山グルメといえば何?」というテーマで銀座四丁目の交差点で女性100人に聞いたアンケートの結果も発表。以下のようになりましたが、

第5位、ホタルイカ
第4位、ブリ
第3位、ますの寿司
第2位、ベニズワイガニ
第1位、白エビ

白エビが1位というのは意外でした。実は価格のこともあると思うのですが、白エビが富山の家庭の食卓にあがることはあまり多くはありません。カニも富山の地元のスーパーには、小さいものが安く大量に積まれている事が多いのですが、もう飽きているのでしょうか、それとも食べるのが面倒なのでしょうか、そこまで地元民はカニに執着心を持っていないようです。

3位のますの寿司ですが、地元では正月や誕生日のイベント時にケーキ的な役割として購入する家庭が多いです。富山県民にとってますの寿司はハレの食べ物なのです。さらに、各家庭ごとに贔屓のお店があり、具体的な名前は伏せますが、JR駅構内で販売している某社のますの寿司を買う富山県民は稀です。

4位のブリは地元でも定番ですが、ひとつ手前の「ふくらぎ」を好む富山県民も多いです。特に寒ブリの季節は値段が高騰するので、地元の食卓には「ふくらぎ」がのぼる日が多くなります。

そして、5位のホタルイカ、これはこれからの季節、本当にオススメです。ボイルなら首都圏でも召し上がれますが、お刺身は富山に来た方だけの特権です。最近は、輸送技術の向上により首都圏でも食べられるようですが、食感と風味が全く違いました。出演者の中村こずえさんも実際にお刺身を召し上がっていて大変感激されていました。

何よりも、この番組、高知や山口でも放送されていたのはすごいですね。http://www.1242.com/info/hokuriku/

次は、開業後、初の平日となった16日月曜日です。

朝6時は文化放送
「おはよう寺ちゃん活動中」
経済評論家の上念司さんは、「北陸新幹線で地域が発展するという意見もあるけど、マイナスになる地域もあるから全体で見たら差し引きゼロ。むしろ、ストロー効果を心配しないと。」と冷静なコメント。しかし、「北陸三県って、日本の北欧って言われてて、県民の幸福度高いんですよ。」と北陸三県そのものについては好意的な意見。

朝6時30分は大阪の朝日放送
「おはようパーソナリティー道上洋三です」
こちらは、大阪の老舗番組。何十年と聴き続けてリスナーの方も多いです。道上洋三(どうじょうようぞう)さんは、金沢駅の混雑ぶりや大阪から東京で新幹線を乗り継いで金沢に行った人など北陸新幹線の人気ぶりについて説明した後、この新幹線によって北陸の大阪離れが加速する事を懸念。番組内の特集もこの北陸新幹線による大阪離れ問題がテーマでした。

そして、最後は大阪のラジオ番組の中で一番「全国」にリスナーが多いと言われている、毎日放送の
「mbs ヤングタウン 土曜日」

出演者はあの明石家さんまさん。この日は、アシスタントのモーニング娘。に金沢出身者がいたらしく、北陸新幹線の話題に。

さんまさん曰く「金沢の石川テレビにから騒ぎ出身の女子アナおって、そいつの後輩の女子アナの電話番号ゲットしたんや。金沢に行きやすくなるなー。君のことを夢で見たんだ、とかいうて、すぐに行けるなー。」といつもの調子。ただ、北陸地方の魚のアピールについては、「魚が美味しいって、しつこいねん。腹がたつわ。そんなにたいしたものじゃありませんって言われたら、美味しく感じるのに。築地の方がよっぽど美味いわ。」と、厳しい意見も。

以上が、ラジオがとりあげた北陸新幹線でしたが、全体的に東京のラジオは好意的な意見でしたが、大阪のラジオはなかなか厳しい目で見ているようです。

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市街地の焼失率が95%と、地方都市で最大の被害を被った富山大空襲の復興事業にかかわる労働者の「おかず」として考案された富山ブラックですが、富山県民の間では長年にわたり「大喜」の名で幅広く知られてはいたものの、実際に食していた県民は、そんなに多くなかったようです。魚を食生活の中心においていた当時の富山県民にとって、あの味付けは受け入れ難いものがあったのかもしれません。むしろ、富山出身の方が一旦東京へ出られたあと、向こうの味に慣れてから帰郷時に食べ始めたケースが多かったような気がします。富山ブラックという名称も地元で付けられた名称でなく、あくまでも「大喜のラーメン」と50年間呼ばれ続けてました。

そんな富山県民にラーメンブームが来る前から長年にわたり愛され続けてきたのが、富山駅北口、通称駅裏にある「まるたかや」ラーメンです。実は、このお店は富山では行列店であるにもかかわらず、今まで全国ネットの番組で紹介されたことはありません。取材拒否なのか、それともラーメン店の演出に欠かせない頑固オヤジや若き青年経営者が店内にいないからでしょうか。実際に、店内に入ると店員の多くが女性であることに気付きます。配膳だけでなく麺茹での担当の方までが女性なのでが、まさにそこは富山の強い女性をまじかに感じられる場所でした。そんな「まるたかや」に行ってきました。

本日も行列です。しかし、麺の茹で時間は短いので20分ほどで店内に案内されます。


こちらが、まるたかやのらーめんです。ラーメンのことはよくわかりませんがあっさりとした魚介系のスープです。(「まるたかや」ホームページより。)

そして、これがこの店の秘密兵器、豚の背脂を揚げた通称「油かす」。これを、たっぷりラーメンに入れてスープのコクを増して楽します。

もう一つの名物が、こちら赤割。焼酎とロゼワインを割ったもので、もともとは西日本の居酒屋で多くた楽しまれていたものとのことです。焼酎とワインの割合はお好みをオーダーできます。通常は3:7くらいですが、中には1:9でオーダーする猛者も。度数以上に口当たりがいいので、3杯目からは未知の世界へと誘われます。

今回は、この赤割を、魚介スープに浸されたおつまみチャーシューで頂きます。

もちろん、おつまみチャーシューには「油かす」をトッピングです。まさに、至福の時間。

さらに、串カツも追加。三本で200円ちょっとなのも嬉しいです。

そして、今度は、「富山おでん」を追加です。写真は焼き豆腐と豚串。このお店はラーメンだけでなく「富山おでん」も充実しています。出汁は透き通ったあっさり系。本当に美味しい。ついでに、赤割もおかわり!今回はオーダーしませんでしたが、「カニ面」のおでんもあります。(「まるたかや」ホームページより)



〆は、こんにゃくの味噌おでん、通称「あんばやし」です。富山の縁日の屋台では定番中の定番でした。小さい頃から食べているため、富山人のDNAに組み込まれているといっても過言ではありません。二本で80円は、まさに富山の良心!

まさに、50年間愛されてきた富山「駅裏」のフルコースを堪能しました。ここまで、すべて女性の店員の方にてきぱきと、しかし癒しを感じさせる雰囲気で料理を提供していただきました。まさに、強くて優しい富山の「おかっちゃん」が料理に一役かっています、そこで、

とやどこからの提案

富山「駅裏」で、赤割とおかっちゃんから元気をもらおう!

持ち家率が全国一の富山県ですが、それは夫婦の共働き率も全国一という富山の女性のたくましさのお陰です。歴史を振り返れば、富山の米騒動も市井の女性が起こしたものです。そんな、富山のたくましい「おかっちゃん」たちから元気をもらえる店、それが「駅裏」のまるたかやなのです。男勝りに手際よく麺を湯きりする姿を、赤割でほろ酔い気分でみるのは、本当に至福の時間です。

富山ブラックの次は、是非「駅裏」へ。

尚、新幹線口からは直接「駅裏」へ行けるようになるのは、5年後ということらしいので、一旦改札を出て、南北を結ぶ地下通路で起こし下さい。

 
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かつて、富山駅から列車が旅立つ時、拡声器からは物哀しい旋律の「こきりこ」が流れ始め、ホーム全体が旅人たちを名残惜しむかの様な雰囲気に包まれたものです。

感傷的な気持ちになったのは、旅人たちも同じだったのではないでしょうか。様々な理由で富山駅から旅立つこととなった人たち。「こきりこ」の旋律は、ある人にとっては車窓越しに聴こえる旅先富山の名残であったり、またある人にとっては故郷富山を絶ち切る最後の瞬間の囁きだったのかもしれません。

そんな富山駅の「こきりこ」も、安全対策を考慮してのことか、いつ間にか北陸本線共通の発車音に取って代わられることとなりました。

発車メロディーは、駅を訪れた人に聴覚からその地のイメージを与える重要な役割を果たしていますが、北陸新幹線の新駅でも、新たに発車メロディーが採用されました。

新規に作曲した発車メロディーが多い中、目を引くのは、古くからの童謡「春よ来い」を採用した糸魚川駅です。深い雪に閉ざされる糸魚川の方々の春を待ちわびる気持ちを、旅人とE7系に問いかけるかのように、今日も新幹線のホームに流れています。実際に、この地にやって来る少し遅い春は、本当に素晴らしい景色が広がるので、「春よ来い」は旅人の願いでもあるかもしれません。

作者相馬御風は糸魚川市出身。早稲田の校歌である「都の西北」を作詞したことでも有名ですが、古事記の記述から姫川における翡翠(ヒスイ)の産出を推測したという業績があります。まさに、日本海ひすいラインの中心駅としても相応しい発車メロディーです。

地域の方々にも愛され、今後も未来永劫歌い継がれる「春よ来い」ですが、富山県内の新駅でも、このような可能性を秘めた歌が発車メロディーとして採用されました。

黒部宇奈月温泉駅の発車メロディー、「煌(きらめき) 水の都」がそれです。

作者は富山市在住の高原兄氏。地元のテレビ、ラジオを中心に活躍されている方ですが、作曲では数年前の「羞恥心」を筆頭に全国的にも活躍されています。

この歌は、黒部市を特集した地元局製作のテレビ番組のエンディングとして作られたものです。よって、発車メロディーとして採用されることは想定されていませんでした。

歌い手は、神奈川県出身の歌手Tomomi。もともと「お父様の御家業」の関係で富山に馴染みがあった方なのですが、地元の銀行のCMソングを歌ったことがきっかけで、高原氏から多くの楽曲の提供を受けています。

地元局の企画で音楽の専門家にこの曲を聴かせたところ「ボーカルの女性の声域の限界を半音超えている部分に無理がある」と指摘。高原氏は「あえてそうした。黒部というふるさとをさわやかに歌いたくはなかった。黒部峡谷にしろ富山には厳しい自然がたくさんある。そういうところで人々が日常の生活を送る、それが富山。」と解説。

また、新駅開業のイベントとして、黒部市民500人がこの歌を大合唱するという企画があったのですが、そのリハーサル時には、「きれいなことだけじゃない 辛いこと泣いたことがあったから今の黒部があるんだ。」と作詞に込めた思いを語られていました。

生きている中でしか歌は生まれてこないと語る高原氏。黒部宇奈月温泉駅の発車メロディーは富山に日々生きる高原氏の作曲だからこそ我々の心に響くのでしょう。東京の音楽プロデューサーだったら、これほど琴線に触れる旋律は出てこなかったかもしれません。(実際に氏は、家業である電気工事業の経営者として、自らも富山の現場にでていらっしゃいます。)

この歌はまさに新川地区の地謡として、歌い継がれることでしょう。

市民500人による大合唱は地元局でも生中継されましたが、まさに感動の嵐でした。(高原氏自身も号泣)
      (c) KNB

       (c) KNB

きらめいていますか きらめきませんか

ふるさとが ふるさとが 笑ってる
(煌 水の都 より)

そんな今日も、黒部宇奈月駅は、「きらめき」で旅人を励まし続けています。

とやどこからの提案

発車メロディーが良かったら、今度はTomomiさんの歌も聞いてあげてください。本当にいい歌です。


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