先月で開業1年半を迎えた北陸新幹線。

今月から車内販売に、あの「幸の小分け」シリーズでも1番人気のホタルイカの素干しが登場。

そんな中、とやどこでは、まだネットやテレビで晒されていない、北陸新幹線を巡るトリビアを3つ紹介したいと思います。

1.そもそも富山県内では、北陸新幹線反対派が多かった。

写真は1983年の北日本新聞から。

1982年に北陸新幹線の富山県内ルートが公表されると、特に通過地なる県内山間寄りの住宅地や農家から、反対運動が噴出。多くは、騒音や農業への影響を考慮してのことだと思われます。

当時の県民会館で行われた住民説明会では、新幹線絶対反対の横断幕をかかげようとる人も。

中には、当時の知事である「中沖さんちの玄関横に通せばいい。」という怒号もあったそうです。

他にも、北陸本線が「廃止」になるという噂が流れ、「北陸新幹線よりも生活の足を!」という看板があちこちに立っていたような記憶もあります。

2.魚津ー糸魚川間は、開業の20年以上前から着工が始まっていた。

写真は1993年の北日本新聞から。

これはトンネルが多く難工事が予想された同区間を先に着工することで、「既成事実」を作り上げようということだったようです。

驚きなのは、この時点で糸魚川から先の長野までの区間は具体的工事計画が全く定まっていない状態だったということです。

公表された計画では、先に同区間を新幹線規格で作って、ほくほく線からの特急を暫定的に走らせるという内容だったようですが、これは、ミスターオリンピックである森「元」がどこかのインタビューで答えていたように、工事予算をつけるための方便だったようです。

そんな工事計画の名残が、糸魚川市青海地区の北陸新幹線高架に残っています。高架の右側(黒部宇奈月温泉駅方面)と左側(糸魚川駅方面)で、コンクリートの色合いが明らかに異なっています。

公表された計画では、この場所から在来線の北陸本線に接続しようとしていたようです。

現在のとき鉄は、先程の場所からすぐに北陸新幹線をアンダークロス。その場所には「信号所」用に取得された用地が。

糸魚川市街を走る北陸新幹線の高架は、まだまだ新しいコンクリート色です。

森「元」氏は、「新幹線とは政治だ!」と公言されていますが、まさにそんな大人の事情から作られた北陸新幹線先行工事区間でした。

3.富山駅の発車メロディは、開業前にある映画のエンディングで使われていた!?


富山駅の新幹線メロディは、小杉町出身の元CBSソニーの音楽ディレクター須藤晃氏の作曲。

しかし、この発車メロディと全く同じフレーズがある映画のエンディングに流れているのです。

映画のタイトルは、
「復活 尾崎豊 横浜アリーナ 1991.5.20」


タイトルからもわかるように、あの伝説のカリスマ、尾崎豊氏の最期のライブをドキュメンタリーで追ったものです。

その映画のエンディングで、富山駅の発車メロディと同じフレーズの曲が流れるのです。

この映画の公開は2012年、北陸新幹線開業の3年前です。

映画でのエンディングの作曲者名を見ると、TOMI YO氏。まさか、須藤氏がこのTOMI YO氏の作品を盗作?と驚きましたが、何と、このTOMI YO氏、実は須藤晃氏の実の息子。

実際は息子さんの作品を、知名度があるということで、須藤晃作曲名義で公表されたようです。
(TOMI YO氏自身が、ツィートで「あれ、実は俺の作曲」と認めていらっしゃいます。)

北陸新幹線と尾崎豊、まさに、不思議なつながりです。

以上、北陸新幹線開業1年半記念トリビアでした。