2カ月前、電撃的に地元テレビ局のレギュラー番組を降板された、元日経トレンディー編集長北村森氏。
http://toyadoco.blog.jp/archives/1059770594.html


その理由については、様々な憶測を呼びましたが、当該ブログエントリーコメントに新たなる情報が寄せられました。

まさか、北村森氏がレギュラー番組を降板された遠因が、氏が心血を込めて立ち上げに奔走されたコンパクトデリトヤマにあったのです。



このコンパクトデリトヤマ、県内18か所の名店の料理をそれぞれデリカとしてアレンジ、それぞれのお店に行かなくても1ケ所でこれら名店の料理を楽しめるように、富山国際会議場横にオープンしたのでした。

北村森氏は、この各店と、出品の交渉や製造レシピの調整に奔走。

もともと、門外不出の名店の製造レシピを外に出すなどということが出来たのも、コンパクトデリオープン前にも、県内のショッピングモールで「名料理人が作る夢の駅弁」というイベントを成功させた森氏の手腕による部分が大きかったのです。(このイベントの出品者の中にはあのミシュラン掲載店である「海老亭別館」があるくらいですから、そのレベルの高さがうかがい知れます。)

そんな、心血を注いで立ち上げた、コンパクトデリトヤマについて、氏は先日、地元FM局の番組で、その顛末について、初めて告白、

曰く、

オープンが4月15日だったのに、オープン前の3月18日に氏とコンパクトデリトヤマの運営会社である3セクとは何ら契約がない旨の通知書が富山市側から届く。

しかし、自分の契約がないからといって仕事を止めていては、オープンに間に合いそうもないので、とにかく運営に専念。

その後オープンを迎えたが、その後も富山市から音沙汰はなし。

結局、7月に再度契約について富山市に連絡したが、進展がなかったため、自ら身を引くことに。

とのことでした。

氏は、この状態を「クビ」と表現。

心理的に富山から「引かざるを得ない。」とのことでした。

まさか、番組を降板しただけでなく、富山そのものから降板を決意されていたのでした。

ちなみに、コンパクトデリトヤマのオープニングには北村森氏はもちろん、富山市側からは職員はもちろん市長も同席。

そのようなシーンまであって、「貴殿との契約は存在しない。」と言い切るあたり、まさにハシゴを外された状態であったようです。

氏は番組の最後で、「プロジェクトは情熱だけではなく、事前の座組が大事だ。」自分に言い聞かせるようにおっしゃっていました。

そして、この富山市、今、謎の「お茶菓子代」と「印刷費」数百万円のおかげで、全国のニュースをにぎわせ、この秋1億円以上の費用をかけて、全国的にも稀となる議員の9人欠員による補選が行われます。

そんなことに1億円払うなら、アイデアと人脈を出してくれた北村森氏にその何十分の1でもいいから、ギャラを払うべきでは。

ライトレール、セントラム、キラリとやまと「モノ」に投資をして成功している現状の富山市政、ぼちぼち「ヒト」にも投資する時期なのでは。

(追記)
9月28日の時点で、富山市議会では10人目の辞職が出て、当初よりの欠員だった1人を含めて、11人の議員欠員による補選が行われこととなりました。

さて、件のコンパクトデリトヤマ、実際に足を運ばれた方なら気付いたと思われますが、店名ロゴの下に小さく東京の大手広告代理店の社名が。

不思議に思って調べてみると、このコンパクトデリトヤマ、総務省の「公共施設オープン・リノベーション推進事業」なるものの一環として行われたもので、いわば国の補助事業。

その総務省の委託を受けたのが、その大手広告代理店だと思われます。

この時点で、かなり「トホホ」なプロジェクトだったという印象が。だいたい、大阪を筆頭に大手広告代理店が絡んだ地方の公共施設って、閑古鳥が鳴いているイメージが。

実際、とやどこ管理人もブログネタにする気満々でコンパクトデリトヤマのオープンニングの翌週に足を運んでみたものの、休日にもかかわらず、広い店内に客は五人。同じ時間帯のお好み焼きのぼてやん田中は店外に行列が出来ていました。

件の大手広告代理店のHPでも、コンパクトデリトヤマのオープニングの様子を紹介。
その中で、北村森氏は「マーチャンダイジングを担当した」と紹介。

広告業界が大好きな横文字に辟易しつつも、これを商品開発として解釈したならば、確かに北村森氏はコンパクトデリトヤマの正式な商品開発担当だったのでしょう。

ここからは、あくまでも推測ですが、富山の名店の味をデリカにするという商品化の目処が立ったオープン前の3月18日、富山市と広告代理店と3セクの「三社連合」は商品開発担当者に「ご苦労様!」と告げたのでは。

そこに、一商品開発者ではなく、店舗のプロデューサーとして関わる気だった氏との間に齟齬が生じたのでは。

さらに、うがった見方をすれば、北村森氏がレギュラーだった地元ローカル局の枠は、その広告代理店の北陸支社が担当だった可能性もあります。(大人の世界は怖いですね。)

真相は闇のままですが、富山から北村森という名プロデューサーが去って行ったのは事実です。