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北陸新幹線開業後に、特急列車の全停駅から全く(或いは、ほとんど)特急列車の運行がなくなってしまった駅として挙げられる、高岡駅と直江津駅。しかし、ここにもうひとつ、在来線特急の始発駅であったにもかかわらず、北陸新幹線開業の翌日から、全ての在来線特急が廃止された駅があります。

当然ながら、上越新幹線と北陸方面の乗り換え口としての役割を果たしていた、越後湯沢駅がそれで、かつては盆・正月・GWは言うに及ばず毎日のように多くの富山ケンミンがこの駅を利用していたはずですが、今や、この駅に降り立つ富山ケンミンは皆無なのでは。

そこで、今回は、あえて越後湯沢を経由して富山に向かってみました。


やってきたのは、夕暮れ時の大宮駅。


ここで待ち構えるのは、最早富山ケンミンにとって触れる機会もなくなってしまった、「MAX とき」。この二階建て新幹線も、近々廃止が決定されているので、乗れるのも今のうちです。


8両編成と短い編成のMAXでしたが、明らかに輸送量を持て余している様子。この「MAXとき 337号」は大宮・越後湯沢間ノンストップの準速達型であるにもかかわらずです。


もともと、通勤用として設計されたMAXの自由席にはひじ掛けがありません。90年代に話題をさらった新幹線通勤も、今や都心回帰組と地方定住組に分かれてしまったので、下火に。まさに「夢の跡」である二階建て新幹線。


スマホの充電なんて出来ませんが、何よりもテーブルが狭いのがつらいです。さらに、窓側は十分な採光を得られず、夜は本を読むのは少し困難な感じに。そして、写真は撮れませんでしたが、スマホでMAXの速度を計ったら、「MAX」で220kmくらいしか出ていません。現在の新幹線の中では、かなり鈍足です。「かがやき」が軽井沢を出てからは、ほとんどの区間で260kmで疾走しているのとは対照的です。


こちらは、1階デッキと2階を結ぶ階段。盆暮れ正月GWには、ほくほく線乗り換え組の人たちがここまでごった返していたのも今や昔。


大宮から1時間ほどで、越後湯沢に着きました。この表記が出ると、「はくたか」の自由席組は「湯沢ダッシュ」に備えて、場所をドア付近に移動し始めたものです。


ここで、まさかのサプライズ。なんと、乗客の4割が、越後湯沢で下車。想像以上に、湯沢・新潟間の需要は減少しているのか? この状態で、上越妙高にかがやき止めたら、本当に大変なことになりまっせ、泉田さん・・・。そんな心配もよそに「MAX AIR号」は新潟方面へと走り去って行きました。


半年ぶりの越後湯沢駅中間改札。「ほくほく線」の看板も懐かしい。


と、反対側から中間改札を眺めると、改札のうち4台は使用停止中に。中間改札に長い行列ができたのも今は昔。


かつて、はくたか自由席組が「湯沢ダッシュ」でしのぎを削ったコンコースも閑散としています。
そんな「湯沢ダッシュ」を名残惜しむかのようなこんなエントリーも。
そして、ほくほく線と言えば、越後湯沢駅「栄光の」0番1番線と決まっていたのに、本日の直江津行きは残念ながら3番線。


駅全体が改装中で、妙な寂寥感が漂っていました。達人は、奥にある立ち食いそば屋で、はくたかが発車する10分間でそばを食べきるという、もうひとつの「湯沢ダッシュ」をやっていました。


3番線ホームから、「湯沢ダッシュ」のゴール地点、越後湯沢駅の栄光の1番線ホームを眺めますが、誰もいません。


かつてホームあった小さな売店も撤去済み。「特急券・乗車券をおひとりずつ」とありますが、今度、あの中間改札に「特急券」が差し込まれる日がくるのはいつのことなのやら。

かつては、ホワイトラビットとスノーウィングの重連っていうEW7系のはくたかを向こうに回すくらいの豪華なはくたが鎮座することもあった栄光の1番線。


あとは、こいつに乗って直江津に向かうだけです。

それまでの長岡乗り換えから劇的な首都圏との所要時間の短縮をもたらしたほくほく線とともに、彗星のごとく富山ケンミンの前に姿を現した越後湯沢駅。

80年代、北陸新幹線の予算折衝で辛酸を舐めた北陸各県は早期着工を目指して、一時は中越経由での「北越新幹線」を目指しましたが、結局は長野県との足並みを揃えるために「はくたか」を、越後湯沢ではなく長野駅へと向かわせました。

スノーラビットや乗り換え客とともに18年間疾走した越後湯沢駅、今、山里で静かにたたずんでいました。