富山は薬でも有名ですが、その富山の中でも薬の街として知られているのが富山市水橋地区です。明治初期まで、富山市水橋地区は、ポートラムの終着地点である富山市岩瀬地区と同様に北前船の発着地として栄えました。北前船がもたらした多くの薬草がこの町を薬業の町としても発展させました。

しかし、明治以降、この岩瀬と水橋はその足並みに大きな差をつけることとなります。北前船の港が貿易港に変わり鉄道を受け入れた岩瀬は日本の近代化ととも大きな発展を遂げます。

しかし、北前船の港が漁港となり鉄道も通らなかった水橋は、(国鉄水橋駅は水橋地区の中心部から遠く離れた場所に設置。地元では「忌避説」が言い伝えられているとのこと)日本の近代化以降も江戸時代の宿場町の延長として発展をとげます。

結果、鉄道はもとより国道からも見放されることとなり、高度経済成長期には既に町としての機能を失っていました。

そんな水橋地区に、ポートラムの終着駅岩瀬浜から行って見ましたが、そこにはかつて栄えた町が静かに余生を送る姿がありました。

ポートラムの真横に水橋漁港行きのバスがやってきました。ICカードパスカで乗り継げば100円、つまり富山駅北からの合算でも280円で水橋地区に行けることになります。これはあいの風とやま鉄道の富山ー水橋間の運賃270円を意識してのことでしょう。

バスは海沿いに防風林として植えられた松並木を横に水橋に向かいます。

こちらは、名物、道路の真ん中に立つ大松。

15分ほどで水橋漁港に到着。バスを見送ります。

午後の漁港には誰もいません。ここ水橋漁港がある場所は、旧西水橋町、あの米騒動の発端となった場所です。

漁師さんの求人広告がありました。

漁港近くにはマリーナがあり、晴れた日には立山連峰を一望できます。

町の中心を流れる白岩川にかかる橋から川面を眺めます。

橋を渡って少し行くと、旧家を発見。往時の盛況ぶりがうかがえます。手前に表札のように見えるのは、当時の電話番号を示した札。おそらくは北前船の船問屋か何かだったのでしょう。

こちらの蔵は、かつてあった酒蔵のものとのこと。

地元の銀行が並んでいるとういう事は、このあたりがかつて町の中心部だったことを意味しています。

地元の水橋神社には桜が咲いていました。

案内板からは、この町が相当古くから存在していたことがわかります。

町の中心を結ぶ東西橋から桜を眺めます。

今度は桜越しに東西橋を眺めます。

東西橋横にある小さな神社。白岩川に木橋をかけた際に、木材伐採の詫びとして建立された水神社。今でも毎年7月に盛大な橋祭りが行われています。

東西橋を渡ったこちらにある建物。現在は酒屋ですが、昭和の初期までは旅館だったそうです。

同じく旅館跡。いま、この町に泊りがけで来る旅人はいないはず。

こちらの軒屋もお店の跡です。

東西橋を遠くから眺めます。本当に町全体が静かに余生を送っているようでした。

明治時代の遺構が今に残る富山市水橋地区、枯れたその姿も、また美しからずや。