ジブリの記録を塗り替えた映画「君の名は?」。その舞台の一つが富山のお隣である岐阜県の飛騨古川であることは、広く知られたこととなった訳ですが、

では、この飛騨古川、一体「何市?」と聞かれて答えられる人は少ないのでは?

飛騨古川市? 違います。 あの日本一広い「市」である、高山市? もちろん、違います。正確には、旧古川町が周辺の町と平成の大合併で一緒になり、今は飛騨市の中心部を構成しています。

この飛騨古川、とても素敵な街なのですが、JRに乗ったら15分ほどの距離に、あの外国人観光客にも有名になった「飛騨高山」が位置しています。

東名阪からの従来の観光客にとって、この飛騨「古川」は、飛騨「高山」の向こう側にある訳なので、観光客の動線を考えると、観光地としての飛騨古川は圧倒的に不利。名古屋からの特急「ひだ」も、半数が高山どまり。東京からの高速バスに至っては、高山の7往復に対して古川は1往復と圧倒的な差をつけらています。

しかし、この飛騨古川、「君の名は?」でブレイクする遥か前から、地道に観光客にアピールを続けていました。

まずは、飛騨古川駅横の大型無料駐車場は基本中の基本として、商店の軒下には休憩用のベンチが設置され、中には無料のお茶まで出してくれる店も。

そして、ここからが、飛騨古川の本領発揮、いろんなお店で、そのお店の方々が口々に「高山と違った魅力がある街ですよ、古川は。」と、アピール。その言葉からは、飛騨地域の本当の姿は古川に有りという矜持を感じることができます。

実際に、高山の町が賑わいを売りとするならば、この古川という街はわびさび的な静を売りだと感じることができます。

街の中を縦横に走る水路の水の音が、その静を一層際立てているかのようです。

もちろん、飛騨名物である五平餅もありますし、

何か、懐かしい赤いポストがある食堂もあります。

そして、素敵な街には欠かせない造り酒屋だって。

しかし、飛騨古川の街で一番好きなのは、年に一回の盆踊りの夜。ポルトガルのファドを思わせるような郷愁を感じさせる曲が、町内に響き渡ります。

この日は、会場となっている神社もいいですが、少し離れた水路の横で、遠くから聞こえる曲に耳を傾けるのも、すごく風情があります。

もちろん、観光客の数も高山や越中八尾と違いそれほど多くないので、本当に自分の時間を過ごせます。

と、ここまでは、前ふりで、わが富山県にも、この飛騨古川と同じように、大観光地と隣接している街があります。

最近、自らもアピールして始めて来た、富山県高岡市がそれで、北陸新幹線で金沢から13分。

それだけではありません、
県都である富山市からは、北陸新幹線で8分、

まさに二面楚歌状態の高岡市。

最近、高橋市長はかがやきの新高岡駅停車にこだわる余り、新高岡駅を中心としたPR作戦に終始されていますが、いささか、首都圏を中心とした観光客にはリーチしていないように感じます。

高岡の宝の山は、元祖高岡駅から北側に広がる、旧市街にあるのではと思います

路面電車が走るような規模の街にであるにもかかわらず、

こんな昭和初期の建物が残っていたり、

大正ロマンな洋風建築があったり、

もちろん、町家もあります。

明治、大正、昭和ときて、最後は、

このように、未来の世界もあります!

まあ、最後のは冗談ですが、歴史的な街並みは富山市街には皆無ですし、金沢と違って高岡は日常生活の一部として、歴史的建築物がある訳ですよね。

さらに、新高岡駅から最新のEW7系を降りたら、徒歩で名刹瑞龍寺に行けます。

つまり、EW7系を含めたら、高岡には江戸、明治、大正、昭和、平成、未来と6つの時代ものが一堂に揃っているわけで、これ、金沢や富山にはない魅力です。

さらに、万葉線に乗って終点に向かうと、そこにはさらにディープな昭和が。

新高岡駅という点ではなく、新高岡から金屋町まで含めた面という視点で戦略を立てられたら、まさに北陸の飛騨古川になるでしょう。そのためには、早急に元祖高岡駅と新高岡駅の「最後の1マイル」問題をなんとかしなければいけません。

 と、色々書き連ねましたが、高岡が飛騨古川のようになるには、それこそ高岡の方々一人一人が商都としての矜持を持って観光客のみなさんに高岡をアピールするのが一番大事なのかもしれません。

最後に、新海監督、次作は高岡でいかがですか?









2カ月前、電撃的に地元テレビ局のレギュラー番組を降板された、元日経トレンディー編集長北村森氏。
http://toyadoco.blog.jp/archives/1059770594.html


その理由については、様々な憶測を呼びましたが、当該ブログエントリーコメントに新たなる情報が寄せられました。

まさか、北村森氏がレギュラー番組を降板された遠因が、氏が心血を込めて立ち上げに奔走されたコンパクトデリトヤマにあったのです。



このコンパクトデリトヤマ、県内18か所の名店の料理をそれぞれデリカとしてアレンジ、それぞれのお店に行かなくても1ケ所でこれら名店の料理を楽しめるように、富山国際会議場横にオープンしたのでした。

北村森氏は、この各店と、出品の交渉や製造レシピの調整に奔走。

もともと、門外不出の名店の製造レシピを外に出すなどということが出来たのも、コンパクトデリオープン前にも、県内のショッピングモールで「名料理人が作る夢の駅弁」というイベントを成功させた森氏の手腕による部分が大きかったのです。(このイベントの出品者の中にはあのミシュラン掲載店である「海老亭別館」があるくらいですから、そのレベルの高さがうかがい知れます。)

そんな、心血を注いで立ち上げた、コンパクトデリトヤマについて、氏は先日、地元FM局の番組で、その顛末について、初めて告白、

曰く、

オープンが4月15日だったのに、オープン前の3月18日に氏とコンパクトデリトヤマの運営会社である3セクとは何ら契約がない旨の通知書が富山市側から届く。

しかし、自分の契約がないからといって仕事を止めていては、オープンに間に合いそうもないので、とにかく運営に専念。

その後オープンを迎えたが、その後も富山市から音沙汰はなし。

結局、7月に再度契約について富山市に連絡したが、進展がなかったため、自ら身を引くことに。

とのことでした。

氏は、この状態を「クビ」と表現。

心理的に富山から「引かざるを得ない。」とのことでした。

まさか、番組を降板しただけでなく、富山そのものから降板を決意されていたのでした。

ちなみに、コンパクトデリトヤマのオープニングには北村森氏はもちろん、富山市側からは職員はもちろん市長も同席。

そのようなシーンまであって、「貴殿との契約は存在しない。」と言い切るあたり、まさにハシゴを外された状態であったようです。

氏は番組の最後で、「プロジェクトは情熱だけではなく、事前の座組が大事だ。」自分に言い聞かせるようにおっしゃっていました。

そして、この富山市、今、謎の「お茶菓子代」と「印刷費」数百万円のおかげで、全国のニュースをにぎわせ、この秋1億円以上の費用をかけて、全国的にも稀となる議員の9人欠員による補選が行われます。

そんなことに1億円払うなら、アイデアと人脈を出してくれた北村森氏にその何十分の1でもいいから、ギャラを払うべきでは。

ライトレール、セントラム、キラリとやまと「モノ」に投資をして成功している現状の富山市政、ぼちぼち「ヒト」にも投資する時期なのでは。

(追記)
9月28日の時点で、富山市議会では10人目の辞職が出て、当初よりの欠員だった1人を含めて、11人の議員欠員による補選が行われこととなりました。

さて、件のコンパクトデリトヤマ、実際に足を運ばれた方なら気付いたと思われますが、店名ロゴの下に小さく東京の大手広告代理店の社名が。

不思議に思って調べてみると、このコンパクトデリトヤマ、総務省の「公共施設オープン・リノベーション推進事業」なるものの一環として行われたもので、いわば国の補助事業。

その総務省の委託を受けたのが、その大手広告代理店だと思われます。

この時点で、かなり「トホホ」なプロジェクトだったという印象が。だいたい、大阪を筆頭に大手広告代理店が絡んだ地方の公共施設って、閑古鳥が鳴いているイメージが。

実際、とやどこ管理人もブログネタにする気満々でコンパクトデリトヤマのオープンニングの翌週に足を運んでみたものの、休日にもかかわらず、広い店内に客は五人。同じ時間帯のお好み焼きのぼてやん田中は店外に行列が出来ていました。

件の大手広告代理店のHPでも、コンパクトデリトヤマのオープニングの様子を紹介。
その中で、北村森氏は「マーチャンダイジングを担当した」と紹介。

広告業界が大好きな横文字に辟易しつつも、これを商品開発として解釈したならば、確かに北村森氏はコンパクトデリトヤマの正式な商品開発担当だったのでしょう。

ここからは、あくまでも推測ですが、富山の名店の味をデリカにするという商品化の目処が立ったオープン前の3月18日、富山市と広告代理店と3セクの「三社連合」は商品開発担当者に「ご苦労様!」と告げたのでは。

そこに、一商品開発者ではなく、店舗のプロデューサーとして関わる気だった氏との間に齟齬が生じたのでは。

さらに、うがった見方をすれば、北村森氏がレギュラーだった地元ローカル局の枠は、その広告代理店の北陸支社が担当だった可能性もあります。(大人の世界は怖いですね。)

真相は闇のままですが、富山から北村森という名プロデューサーが去って行ったのは事実です。



まさかの、仙台からの北陸新幹線の直通新幹線が実現しました!

北陸本線時代を含めても、太平洋側の東北地方からの直通列車の運転は初の出来事ではないでしょうか。

もちろん、今回の直通運転は、ツアー向けの1日限りの企画なのですが、色々部分で初物づくしです。

先ずは、停車駅に注目。なんと、郡山駅を出たEW7系は、黒部宇奈月温泉駅まで客扱いはなし。

北陸新幹線で初めて長野が「通過」扱い。もちろん、運転停車はあるでしょうが、それでもこれは「事件」。

長野駅どころか、大宮駅も「通過」扱い。ここでも、運転停車があるでしょうが大宮駅でドアが開かない新幹線なんて、かなりレアですよね。

そして、EW7系の試運転は東北新幹線内で行われた訳なので、まさにかがやきが凱旋「帰国」する訳です。

個人的には、この新幹線の運用、W7系になればと思ってしまいます。東北新幹線内で流れる、「北陸ロマン」の車内メロディなんて、感動で鳥肌もんです。

さらに、東北新幹線内で「この列車の停車駅は、黒部宇奈月温泉駅、、、」とか車内アナウンスが流れるのでしょうか。

最後は、大宮駅での「座席転換」タイム。北陸本線時代の直江津駅での風物詩が、この時代に再現されるわけです。

まさに注目箇所満載の仙台発の北陸新幹線、今度は函館北斗駅からの直通運転を期待したいですね。

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