(c)Bungeishunju Ltd.

2017年、北陸新幹線開業3年目の年、富山県では県都である富山市と、商都である高岡市でそれぞれ首長選が予定されています。

このうち、富山市では四選を目指す現職のMr.路面電車こと森「コンパクトシティー」雅志氏と新人候補の一騎打ちとなる模様です。が、実際、富山シミンの関心は、同時に行われるあの全国を轟かさせた「富山市議会選挙」のほうに向いており、市長選への関心は今一歩。

高岡市では、三選を目指す現職のかがやきの停車に心血を注いでいる高橋正樹氏が、3月に出馬表明。3月15日現在、まだ対立候補として出馬を表明されている方はいません。

しかし、地元メディアでは、この富山県の二大都市の首長選の話題を差し置いて、寒ブリの街で有名な氷見の市長選を取り上げることが多くなっています。

2月下旬の地元局の夕方のニュース、氷見市議会場のシーン、ある市議会議員が本川氷見市長に向かい「今後、貴方とは袂を分けて政治活動を行っていきたい。」と発言。

ん、何があったのか氷見市?

そもそも、この本川氷見市長、日本初のファシリテーター市長として、新聞やテレビによく取り上げられていたんですよね。ファシリテーターって何かよくわかりませんが(苦笑)、とにかく若手のやり手市長の印象がありました。

件の「袂を分けた」市議さん曰く「本川市長は市政の混乱を作った。」。

しかし、混乱とは? 実は、とやどこでも紹介した魚々座が昨年の秋から休業しているんですが、それが混乱の原因なのか? しかし、この魚々座、発想自体は素晴らしかったのでその責任を現職市長1人に負わせるのはいかがなものなのかと思いながらも、4月に行われる市長選は氷見の街を二分する大激戦になるだろうと報じられました。

明けて、3月、あの泣く子も黙る文春砲が、まさか本川市長に向けられます。タイトルは「日本人の顔じゃないね」富山・氷見市長の差別発言テープ



以下、注釈をつけながら記事を抜粋。

(2014年2月1日の市長と職員のやりとり。)

市長「まず基本的にお前さ、人の話聞け、お前」

職員「あっ、踏んだ、聞いてます。(ドンという音)あ、痛い。」

(注釈)この職員氏の「痛い」という声、実は本川市長が職員の足を踏み、ペンで胸を突いたから出たとのこと。
この時点で、完全なパワハラモード、通常の企業なら一発レッドカードものなのですが、本川市長の勢いは止まりません。

市長「お前みたいなクソ生意気な奴はと言われる訳やちゃ、高岡工芸(高校)しか出てません。いや、高岡工芸でおわりましたとか、有磯高ですとかいう、魑魅魍魎な人達にいろいろいじめらてれきなさい。」

(注釈)市長の発言のうち「やちゃ」は富山弁における断定の助動詞「です。」に相当。職員氏が「クソ生意気」扱いをされたのは、この職員氏が市長の知人に資料をペンで指し示しながら説明したからとのこと。

ま、ここまでは、主観の部分。もしかしたら、氷見市庁内では「資料をペンで指し示しながら説明」するのは失礼という文化があるかもしれないので、判断は各人によって異なるかもしれません。問題は、このあとの、

「高岡工芸高校しか出ていません。

高岡工芸でおわりましたとか、

有磯高(卒)ですとかいう、魑魅魍魎な人達」
 の部分。

およそ、早稲田大学「まで」出られた学士とは思われないほどの配慮に欠ける発言。

本川市長はどのような意図で上記のことを言われたかは不明ですが、両校のOB方々は決して快く思わないはずです。(とやどこ管理人は、両校のOBではありません、念のため)

他人の気持ちを推し量れない時点で、いくらファシリテーターとやらであったとしても、政治家としてはスタメン落ちでしょ。

記事によると、就任以降、庁内では市長による多くのパワハラが横行し、中には自殺者までも。

極めつけは、県内の遊戯施設の専務役員を、その外観についての話し合うために庁舎に呼びつけて冒頭、

市長「普通の日本人の顔じゃないね」

(注釈)もし、公衆の面前での発言だったら、政治生命を確実に終わらせる一言。この元商工会議所職員だった若き首長は、単に脇が甘いのか、それとも高校や輿入れ先が地元の名門と呼ばれる所であるがゆえ、余程の自信家なのか。

今年の寒ブリは、昨年と違い豊漁で終わったとのこと。豊漁で沸いた街を揺るがすお家騒動。

そんな中、氷見市議会は3月14日、本川市長に対する問責決議を可決

氷見市長選の公示は26日、全国的な「ブランド」となった氷見の顔にふさわしい方が選ばれることを祈るばかり。


 © Nihon Sumo Kyokai (C) NHK
快挙です! 20年ぶりの富山ケンミンからの関取となった石橋改め、朝乃山関。

関取となった初土俵、兵庫ケンミンである北播磨関から、見事に白星を挙げました!

 
       © Nihon Sumo Kyokai (C) NHK
身長189㎝、体重159kgの恵まれた体での堂々たる土俵入り。



   © Nihon Sumo Kyokai (C) NHK
今場所、唯一の新十両のためか、NHKも他の力士よりも詳細に朝乃山関のことを取り上げている印象でした。この取り組みは、15時前のBSでの放送だったのですが、15時からの地上波中継でも、冒頭でリプレイが紹介されました。


   © Nihon Sumo Kyokai (C) NHK
画面に映る「朝乃山」の文字、そして1997年の5月場所以来、十両の紹介テロップに「富山」の地名が。


    © Nihon Sumo Kyokai (C) NHK
時間いっぱいです、


   © Nihon Sumo Kyokai (C) NHK
両者激しくぶつかって、


   © Nihon Sumo Kyokai (C) NHK
最後は、朝乃山関が押し出すという形でした。


  © Nihon Sumo Kyokai (C) NHK
軍配を受ける朝乃山関

地元局のインタビューでは、(リオ五輪の)登坂や田知本を(アスリートとして)早く追い抜きたいと答えていた朝乃山関。

今場所は、横綱稀勢の里の話題で持ち切りですが、いやいや、十両だって彼が盛り上げてくれそうです。


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今年、全国的に別の意味で「知名度」を上げてしまった富山市議会。

そんな富山市議会のトホホぶりが世間に明らかになる端緒を作った1つが、富山県内シェアNO1を誇る県紙、北日本新聞社なのですが、そんな北日本新聞社の奮闘ぶりが、あのセンテンススプンリングの総本家たる月刊文藝春秋の12月号に掲載されています。

この記事を読んで印象に残ったのは、当初は取材を担当していた記者誰もが、あの「辞職ドミノ」につながるとは思っていなかったという点です。

実は、イチ富山シミンたるとやどこ管理人自身も、「きっかけ」となった記事を読んだ以降、まさか、こんな大事になるとは思っていませんでした。

そんな「きっかけ」となる記事が掲載されてから、「辞職ドミノ」が発生するまで2ヶ月以上の時間が流れていて、その間、様々なニュースが流れ、すっかり印象が薄れていたというのが本音です。

先述の文藝春秋の特集からは、イベントが目白押しで多忙の中、粘り強く取材を続けていた北日本新聞社の記者の姿がよく伝わって来ました。

正直、今までは富山県内の市町村の単なる御用新聞としてしか見ていなかった北日本新聞、ところがわっしょい、エッジな部分に切り込んで、富山ケンミン並びに富山シミンの溜飲を下げてくれたこの富山市安住町にある地方紙への尊敬と、自らの県紙に対する認識の甘さの自省の念も込めて、北日本新聞社の145日間をまとめwikiしてみました。

  (c)THE KITANIPPON SHIMBUN.


6月9日、まずは市議会の議事録をもとに作成した議員報酬の月額10万円増額案の全貌を紹介。

この記事が掲載された当日、同社は議員報酬の増額案について、富山市議会議員への直接取材を予定していたのですが、その時に、全富山シミン及び富山ケンミンの怒りを買う事件が発生。


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まさか、別の議員を取材中の同社女性記者から、自民党会派の会長が取材メモを強奪。この事件は当日の在富のテレビ局各社の夕方のニュースでも取り上げられたため、北日本新聞社以外の在富マスコミ各社にも、議員報酬増額に対する批判のメール、電話が殺到、奇しくも中川氏の取材妨害がケンミン及びシミンの議員報酬増額問題への関心に火を付けることとなりました。

(c)THE KITANIPPON SHIMBUN.

しかし、この時は誰も(おそらく、北日本新聞社の記者ですらも)、この中川氏の名前が、これから二ヶ月後に、県内どころか全国ニュースで話題にあがろうとは思っていませんでした。

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それから、1週間後、賛成多数で議員報酬増案が市議会で可決。反対したのは共産党議員をはじめとしたごく一部のみ。世間の関心も、回転寿司屋やリゾートホテルで都政に関する会議を行った帝都の知事の辞職問題に移っており、多くのケンミンは割り切りない思いを抱いたまま。

そんな中、同紙は政治部長の署名入りの論説を一面に掲載。

これは、単なる最後の「一矢」だったのか、それとも反撃の狼煙(のろし)だったのか。

しかし、この後イギリスのEU離脱関連のニュースが巷を席巻、多くの富山ケンミンもこの話題を忘れかけていたその時、

同紙は、社会部、政治部、高岡支部の記者3人よる「民意と歩む」と題したキャンペーン記事を展開、
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議員報酬問題を中心にケンミンの関心事を記事で解説。ちなみに、富山市議会の記事なのに、なぜお隣の高岡支部の記者かというと、この方、かつて「高校生の未履修問題」を全国紙に先駆けてすっぱ抜いた敏腕記者らしいです。あの時は、高岡市の県立の進学校が記事上がっていましたっけ。

なるほど、政治部長の論説は、反撃の狼煙だったわけですね。

さらに、同紙は「二の矢」を放ちました。

社会部の別の記者が、富山県議会議員の出納記録を調査。

その中で、ある県議の、政治とは凡そ関係がない昆虫や鉄道に関する1冊3万円以上もする高額な書籍を何十冊も購入している領収書を発見。

この領収書発見から、裏付けの取材に至るまでの経緯は非常に手に汗握る展開となっていて、是非、当該の文藝春秋の記事を読んで頂きたいと思います。

そして、
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7月13日、富山県内の政務活動費不正受給に関する辞職議員の第一号となる矢後県議の記事が一面に掲載。

この日、陛下の「生前退位」の御意志が明らかとなったため、翌14日の紙面では一面ではなく三面に、
「民意と歩む」チームの後追い記事が掲載。

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この後、7月はポケモンGO、8月はリオオリンピックと、同紙の議会問題の追求記事は鳴りを潜めたかに思えましたが、

あの「民意と歩む」チームが、この間、密かに今度は、富山市議会議員の全出納記録を調査し始めていたのです。

ある日「民意と歩む」チームは、ある市議会議員の政務活動報告会とその配布物の印刷費に関する領収書に不自然な部分を発見します。

その市議会議員とは、誰あろう二ヶ月前に同紙が取材妨害を受けた中川市議。

8月19日、この日は、在富のマスコミにとってターニングポイントとなった日でした。

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同紙はこの日、前日早朝に金メダルを獲得した登坂選手の見開き二面記事を特別面として、一面の上に重ねた上で発行、ケンミンの度肝をぬきます。

そんな中、同紙記者は、中川市議の政務活動報告会未実施のウラはとってあったので、不自然な印刷費の領収書を発行した印刷会社を取材。翌日の一面トップのスクープを狙っていたのかもしれません。

しかし、この印刷会社の担当者は、「この領収書は確かにうちのもので、印刷も実際に行った。」と証言、先述の矢後県議と同様「架空の領収書」だと確信していた同紙記者は肩透かしをくらいましたが、
これには理由がありました。

なんと、北日本新聞社が取材を始めていた頃、同じ富山のJNN系テレビ局が中川市議の領収書の情報公開を請求、それを市議会事務局が中川市議にリーク。事を隠蔽したい中川市議は、印刷会社に口裏合わせを依頼したというのが真相です。

事務局のモラルが問われる事態でした。

それでも、そのJNN系テレビ局はこの日の夕方のニュースでスクープとして中川市議の疑惑を報道、ケンミンに二ヶ月ぶりに中川市議の名前が伝えられます。(あっ、あの中川さんだ!)

この報道により、安住町と奥田新町だけではなく、根塚町と牛島町まで加わった県内マスコミの報道合戦の火蓋が切られました。
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翌、20日、同紙も社会面に中川市議の疑惑を掲載。1面掲載とならなかったのは下の記事からもわかるように、まだリオオリンピックの開催期間だったからかもしれません。

ところが、各社一斉に中川市議の疑惑を報じた20日、
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中川市議が、まさかの行方不明に。幸い大事には至らず発見されましたが、相当精神的に追い込まれていたのかもしれません。

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結局、疑惑報道から一週間後の27日に、中川市議は辞職を表明しました。


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